ラベル 91.京都 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 91.京都 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年9月5日木曜日

京都市の東を流れる鴨川の9月3日はまだまだ夏日です

本日は9月3日、二十四節気の処暑も過ぎましたが残暑は厳しく、ギリギリと肌を刺すような夏の日差しです。
鴨川の川岸では、お年寄りの皆さんが木陰に避難しています。


2019年9月4日水曜日

京都の「熊野神社」には「サッカー御守」、聖護院は八つ橋発祥の地があります

京都市左京区聖護院山王町の「熊野神社」は、紀州熊野権現の御祭神を勧請しました。
「熊野神社」の御神紋の「八咫烏(やたがらす)」はサッカー日本代表のシンボルマークとなっており、「サッカー御守」も授かることができます。


2019年9月2日月曜日

「千本ゑんま堂」であの世の入口の裁判官の閻魔法王が引導を

京都市上京区千本通閻魔前町の「歓喜院引接寺(通称千本えんま堂)」は死者に引導を渡す「閻魔法王」を御本尊としてお祀りしています。
あの世の入口に建つとされる「千本えんま堂」は、見るからに地獄の入口のような殺伐観がただよっています。

千本ゑんま堂入口

2019年8月30日金曜日

「おかめの物語」や「大根炊き」で知られる「千本釈迦堂」


「千本釈迦堂」は、真言宗智山派の寺院で、冬の風物詩「大根炊き」は毎年暮れのテレビニュースの常連となっています。また、建物の上棟の際に大黒柱に飾られるお多福の面を付けた御幣は、本寺の本堂にまつわる「おかめの物語」が起源となっています。
「千本釈迦堂」は京の六花街の一つ「上七軒」のすぐそばにあります。

千本釈迦堂参道

2019年8月29日木曜日

京都「寺町通り」街歩き その2(丸太町通り~今出川通り)

京都市の「寺町通り」は、京都御苑(御所)の直ぐ東側を通る南北の通りで、南は五条通りから北は紫明通りまでの通りです。天正18年(1590年)の「豊臣秀吉」の都市計画によって、市内各地にあった寺院を移転させ通りの東側に配置させたことから「寺町通り」と称されることとなりました。今回は、京都御苑の東側に沿って丸太町通りから今出川通りまで歩きます。

京都御苑清和院御門

京都の本禅寺の本堂は全体を白漆喰で化粧して姫路城を思わせます

京都の法華宗陣門流総本山「本禅寺(ほんぜんじ)」は、京都市上京区の京都御苑の東の寺町通り沿いにあります。
本禅寺の鐘楼の梵鐘は、豊臣秀頼が片桐且元に命じて鋳造させ、大阪の生国魂(いくたま)大明神に献納したもので、徳川家康は「大坂冬の陣・夏の陣」の両戦で「陣鐘」(じんがね)として使用しましたが、後に大久保彦左衛門によって本禅寺に納められたものです。

本禅寺鐘楼

京都の清浄華院は慈覚大師が禁裏内道場として開いたのが始まりです

京都御所の東側、寺町通り沿いに「清浄華院(しょうじょうけいん)」はありました。清浄華院という名前は、「浄土に咲く蓮の華のように、清らかな修行ができる場所」という願いを込めて名付けられました。

清浄華院 総門

京都の蘆山寺には世界的な女流作家「紫式部」の邸宅跡がありました

京都の「蘆山寺(ろざんじ)」は京都市上京区京都御所東の寺町通り沿いにあります。

「蘆山寺」は「紫式部」が「源氏物語」などの世界的名作を執筆した地として知られています。また蘆山寺は「おみくじの創始者」として知られる「元三大師(慈恵大師良源)」によって草創されたことで知られています。

蘆山寺

京都の梨木神社は明治新政府の中枢となった三條実美が御祭神です

「梨木神社」の御祭神は、父の三條実萬(さんじょうさねつむ)と子の三條実美(さんじょうさねとみ)です。三條実美は公家の側からの明治維新を推進し、明治新政府では、政府の最高機関の「正院」の長官の太政大臣として明治新政府を牽引しました。
三條実美は、2018年のNHKの大河ドラマ「西郷どん」では、ドラマ終盤の大政奉還のあたりから明治新政府の中枢として登場していましたが、ドラマでは少し頼りない感じで表現されていました。

梨木神社は、一之鳥居と二之鳥居の間に民間のマンションが建っています。

梨木神社 一の鳥居

新島譲は「ならぬことはならぬ」の八重とこの邸で暮しました

京都御苑の東、京都市上京区寺町丸太町上ルに「同志社を創立した新島譲(にいじまじょう)」は和洋折衷のモダンな自宅を新築し、妻八重(やえ)との結婚生活を過ごしました。
NHKの大河ドラマ「八重の桜」で有名になった新島八重は、幕末の会津戦争で鶴ヶ城(会津若松城)に籠城して、新政府軍と戦いました。八重は幼いころから「ならぬことはならぬ」と教えられました。


2019年8月28日水曜日

京都「寺町通り」街歩き その1(二条通り~丸太町通り)

京都市の「寺町通り」は、京都御苑(御所)の直ぐ東側を通る南北の通りで、南は五条通りから北は紫明通りまでの通りです。天正18年(1590年)の「豊臣秀吉」の都市計画によって、市内各地にあった寺院を移転させ通りの東側に配置させたことから「寺町通り」と称されることとなりました。今回は、南の二条通りから丸太町通りまで歩きます。

寺町通り界隈

西国三十三所巡り 京都の第十九番札所「革堂行願寺」

【西国三十三所巡り】を始めました。
2018年は西国三十三所が草創1300年ということなので、改めて三十三所全てを巡っていきたいと思います。
本当は第一番から順にお参りしたいところですが、お参りできるところから順次お参りして観音菩薩様のもとで慈悲の心に浸りたいと思います。



京都の下御霊神社は冤罪のまま亡くなった貴人の祟りを慰めるためにお祀りしている神社です

京都の「下御霊神社」は、京都市中京区寺町通り丸太町下ルにあります。
下御霊神社は、平安時代の政争のなかで冤罪で非業の死を遂げた、貴人たちの祟りを慰めるために、御霊をお祀りしている神社です。
パワースポットでパワーをいただきましょう。

下御霊神社鳥居

2019年8月9日金曜日

火伏せの神「愛宕神社」の全国本宮は京都亀岡にありました

京都亀岡の「愛宕神社」は、京都府亀岡市千歳町にあります。
愛宕神社は全国に約900社あり、京都では「愛宕神社」と言えば京都市の西北にそびえる愛宕山(標高924m)の山頂にある「愛宕神社」を考えがちですが、愛宕山にある「愛宕神社」は、亀岡の「愛宕神社」の御祭神を分詞して勧請したものだと言われています。


2019年7月24日水曜日

京都の【祇園祭後祭】の宵山に行ってきました

「日本の三大祭」のひとつ、京都の【祇園祭】は7月17日の「前祭(さきのまつり)」の山鉾巡幸で華やかで豪華蓮蘭な祭の幕を閉じたと思われている方が多いのでしょうが、ところがどっこい山鉾の数は少ないですが「後祭(あとのまつり)」もございます。「後祭」「鉾建(ほこたて)」から「宵々山(よいよいやま)」「宵山(よいやま)」と続き7月24日には華やかに「山鉾巡行(やまほこじゅんこう)」が行われます。

祇園祭後祭2019山鉾巡幸一番の橋弁慶山

2019年7月17日水曜日

恋に生きた平安中期の女流歌人「和泉式部」は「誠心院」で静かに往生しました

「誠心院」は観光客で賑わう、京都の新京極通りに面して建っています。
平安中期の女流歌人「和泉式部」は、娘に先立たれた悲しみから世の無常を憂い、京都の「誓願寺」で六字名号を唱えて女人往生を悟り、「誠心院」の初代住職となって「南無阿弥陀仏」を唱えながら浄土へと静かに往生しました。

誠心院本堂

2019年7月16日火曜日

京都市南区久世の「光福寺」は京の都の裏鬼門の守り神

「光福寺」は京都市南区久世上久世町の久世橋の西側にあって、平安京の古より京の都の西南の地にあたる裏鬼門を鎮護してきました。
「光福寺」は、鳥居があり、山門があり、拝殿があるという「神仏混交」の名残りを残すお寺です。


2019年7月12日金曜日

「敵は本能寺にあり」京都の本能寺には織田信長の廟があります

京都の法華宗本門流大本山本能寺」は、京都の寺町御池の角にあります。
「本能寺の変」は、本能寺にいた織田信長を明智光秀から襲撃され、自ら火を放ち自害した事件です。このときの本能寺は現在の位置ではなく、京都の四条西洞院にありました。

本能寺山門

2019年7月11日木曜日

京都三条大橋たもとの「瑞泉寺」は関白豊臣秀次公一族の悲劇の舞台

東海道五十三次の終点、京都三条大橋のたもとにひっそりと佇む「瑞泉寺」の山門に「斬到確境」の扁額が掲げられています。これは「漸く(ようやく)確かな悟りの境地に到った人々の霊位が眠る」という意味です。
「瑞泉寺」は秀吉から謀反の疑いで切腹させられた二代目関白「豊臣秀次」と、秀次一族根絶のために三条河原で公開処刑された秀次の妻や子供、妾など39名、ならびに賜死した家臣10名の霊を弔うため建立されました。

山門の扁額

京都の「錦天満宮」の鳥居は建物突き抜け境内にはハイテクおみくじが

京都で外国人観光客に絶大な人気のある「京の台所 錦市場」の東の先には、鳥居の笠木が両隣の建物を貫通している鳥居があります。それは「錦天満宮」の鳥居です。
「錦天満宮」は、御祭神に菅原道真をお祀りし、知恵・学問・商才・招福・災難・厄除けにご利益があります。
境内には、獅子が舞ってくじを取ってくるハイテクおみくじもあります。