2020年5月26日火曜日

「覚性律庵」は千日回峰行を満行した大阿闍梨「光永澄道」和尚が再興しました

「覚性律庵」は比叡山系の山裾が、琵琶湖の水際に向かってなだらかに下っていく途中の、滋賀県大津市仰木の山中に静かに建っています。「覚性律庵」は、比叡山の荒行「千日回峰行」を満行された「北嶺大先達大行満大阿闍梨」の「光永澄道」大僧正が住職となって再興され、「西国愛染明王十七霊場第九番霊場」ともなっている天台宗の寺院です。

愛染堂(法雲堂)

覚性律庵(かくしょうりつあん)由緒

寺 号 寺尾山(てらおさん)覚性律庵(かくしょうりつあん) 

宗 旨 天台宗

御本尊 阿弥陀如来

創 建 享保元年(1716年)

開 山 得善近住(とくぜんこんじゅう)

再興年 昭和50年(1975年)

再 興 北嶺大先達大行満大阿闍梨 光永澄道大僧正 
 
霊 場 西国愛染明王十七霊場第九番霊場

所在地 滋賀県大津市仰木4-36-20

滋賀県大津市仰木の比叡山ドライブウェーへのアクセス道路沿いに「小椋神社」の鳥居があります。鳥居をくぐって少し行くと右へ入る舗装された細い脇道がありますので、その脇道を道なりに進みます。ほどなくして左手に「第九番西国愛染明王霊場覚性律庵入口」の標識が出てきます。標識の反対側に石段があり、その脇に「覚性律庵」の標石が置かれています。

「覚性律庵」入口の標石
この標石には、こうも刻まれています。

「一隅を照らす 此れ即ち国宝なりと」

この言葉は、天台宗の宗祖「伝教大師最澄」の教えです。この言葉は「最澄」が書いた「山家学生式」の冒頭部分にあって、「社会の一隅にいながら社会を照らす生活をする。その人こそがなくてはならない国の宝である」と説いています。

「みんなが気付かないような片隅で、社会を照らしているような人が、国の宝ですよ。たとえ注目されなくても、自分が置かれた場所でベストを尽くすことが大事です。」

という教えです。今(2020年5月)世界は新型コロナウィルスが蔓延し、その影響で
経済は疲弊し、人の心も不安感にさいなまれています。不安で先行きの見えない今こそ、この言葉を胸に刻んでみんなで頑張りましょう。
(・・・・私は天台宗の信徒ではありませんが。)


入口から石段の参道を上がっていくと、「地蔵堂」があります。地蔵堂にはやさしいお顔の「石の地蔵様」が安置されています。「地蔵堂」の扉には「猿が内を荒らしますのでカギを必ずお閉めください」と書かれています。参拝者の善意を信じて、直接拝ませていただけるようです。

地蔵堂
やさしいお顔の地蔵様
「地蔵堂」から石段を少し上がると、左手の急峻な傾斜地に「大黒殿」が建っていて、「大黒天尊」が安置されています。法会があるのか、案内板が掛けられていました。

大黒殿
大黒殿
大黒天尊
「大黒殿」の向いには、「洗心寮」が建っています。休憩所としての役割でしょうか。「洗心寮」の資材は、島根県万福寺(雪舟寺)本堂の向拝、浅草寺本堂内厨子格天井など各地の古刹から集めて再使用しています。

洗心寮
洗心寮の壁に掲げられた扁額
ここから更に石段を上ります。


石段を上り詰めると、平坦な地に出ます。ここには、「庫裏」と「寺務所」があり、「水掛不動さま」があります。「庫裏」では法話会などが行われているようです。

庫裏
寺務所
「水かけ不動」様では、願をかけながら岩に彫られたお不動様に水をかけましょう。

水かけ不動 中央の右手に剣を構えているのがお不動様
「本堂」へ向かいます。「本堂」は更に石段を上がったところにあります。石段には樹木の緑で橋を掛けてあります。

本堂への石段
上から見るとこんな感じ
「覚性律庵(かくしょうりつあん)」

江戸時代中期の享保元年(1716年)、僧「得善近住(とくぜんこんじゅう)」がこの地に草庵を開いたのが始まりと云われています。「天台宗安楽律法流」という、天台宗の根本経典である「法華経」の精神に立脚した、戒律を重んじた宗派に属しています。「天台宗安楽律法流」の本山は比叡山飯室谷(大津市坂本)の「安楽律庵(あんらくりついん)」ですが、「安楽律庵」は放火に遭い、現在は廃寺となっています。

以降は衰退し、昭和3年(1928年)に遷化された「覚因」和尚以後、常住の僧も少なく廃寺同然となっていました。

昭和50年(1975年)に比叡山の荒行「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を満行された、「北嶺大先達大行満大阿闍梨(だいあじゃり)」「光永澄道(みつながちょうどう)」和尚が「覚性律庵」の再興を発願され、住職に就任し、以後、堂宇を次々に整備していきました。


本堂(大雄殿)

「本堂(大雄殿)」は、南北朝時代の建築で、神奈川県大磯の三井財閥別邸に移築されていた奈良薬師寺の「摩利支天堂」を、昭和54年(1979年)に再移築したものです。

本堂(大雄殿)
本堂の「大雄殿」の扁額
ご本尊の「阿弥陀如来」坐像

「愛染堂」や「妙見堂」などへは、山の斜面に沿ってつくられた石段を更に上ります。

「愛染堂」や「妙見堂」などへ向かう石段

愛染堂(法雲堂)

「愛染堂(法雲堂)」は、昭和55年(1980年)に神奈川県大磯の三井財閥別邸内城山荘より移築したもので、奈良薬師寺と京都東福寺の古材を使用しています。古くは白鳳時代から鎌倉時代に至る古材を随所に用いて造られています。

ご本尊の「愛染明王像」は、「光永澄道」和尚の護持仏で、鎌倉時代の作です。「愛染明王像」は背の高さは等身大で、美術的にも非常に価値が高く、不思議な霊力を持っているとのことです。「愛染明王像」は秘仏で、年に一度8月1日に開扉されます。

愛染堂(法雲堂)
「愛染明王」は、一面六臂で他の明王と同じ忿怒相(ふんぬそう)であり、頭に獅子の冠をかぶり、宝瓶の上に咲いた蓮の華の上に結跏趺坐で座るという大変特徴ある姿をしています。その身色は深紅であり後背に日輪を背負っている場合が多いです。

愛染明王
「愛染明王」は梵名を「ラーガ・ラージャ」と云い、「ラーガ」とは赤、愛欲の意味で、愛欲煩悩が悟りにつながるものであることを表しています。「ラージャ」は王の意味で、密教の世界の金剛王と大日如来が変化した姿と云われています。「愛染明王」は全身全霊を尽くして願い事を叶えてくださる最上・最強の明王さまです。

日本では「恋愛・縁結び・家庭円満」などをつかさどる仏として古くから信仰されており、また「愛染=藍染」と解釈して、染色・織物職人の守護仏として信仰されています。

「西国愛染明王十七霊場」は、関西圏に岡山を加えたエリアの「愛染明王」を祀る17所霊場で、平成5年(1993年)に設立されました。

御詠歌

「ありがたや 我が立つ杣(そま)の 寺尾山 みのりのそのに 有明けの月」


妙見堂

妙見堂
「妙見大菩薩」の扁額
妙見堂 堂内に飾られた「大津絵」
妙見堂の奥の石庭

不動堂

不動堂
不動堂「不動明王」の扁額
不動明王像

石仏

「不動堂」から「薬師堂」の間に、石に明王を彫った「石仏」が数体祀られています。





薬師堂

「不動堂」の奥方には、「薬師如来」を祀る「薬師堂」があります。

薬師堂
薬師堂 入口
「薬師堂」入口には、「光明遍照十方世界」「念仏衆生摂取不捨」と書いた木札が下げられています。

「如来の光明はあまねく十方世界を照らして、念仏の衆生を捨てたまわず」の意です。

薬師如来坐像

千日回峰行

「千日回峰行」は、滋賀県と京都府にまたがる比叡山の山内で行われる、天台宗の回峰行
の一つで、満行者は「北嶺大先達大行満大阿闍梨」と呼ばれます。

読んで字のごとしで、アップダウンの激しい比叡山の峰々を深夜から早朝にかけて、東塔や西塔、日吉大社など約260箇所のポイントで礼拝しながら、真言を唱えつつ巡拝するものです。1日の歩行距離は七里半、約30kmに及び、これを約6時間かけて巡拝します。千日と云われていますが、実際に回峰するのは975日です。これは、残りの25日は一生かけて修行しなさいという意味だそうで、実際満行後は25日以上回峰しているのだそうです。

途中で行を続けられなくなったときは自害する。そのための「死出紐(首をくくる紐)」を常に携行しているそうです。装束も、蓮華の葉をかたどった笠をかぶり、白装束。草履履きの死出の装束で行います。

この修行で最も厳しいのが、「堂入り」という修行で、700日目が終わったその日から、「断食・断水・不食・不臥」で9日間、お堂(無動寺明王堂)に籠ります。この間仏様の水を汲みに外へ出る以外は堂内に籠り、10万回お不動様の真言を唱えます。

「堂入り」を満了すると、生身の不動明王とも云われる「阿闍梨(あじゃり)」となって、この後は自分のための自利行から、衆生救済の利他行に入ります。

この厳しい修行を満行した人は、これまでに(2017年9月現在)51人おり、戦後では14人います。

二千日回峰行を満行した人は3人で、三千日回峰行を満行した人はいないそうです。

本堂
「覚性律庵」は、戦後になって再興・整備された寺院ですが、山中の森閑とした空気とマッチした雰囲気の心落ち着く寺院でした。拝観自由で、堂内へも自由に入ってお参りさせていただけますので、仏様やお不動様のお顔を眺めながら、じっくりと自分を見つめなおすのに最適な寺院です。

アクセス
JR湖西線堅田駅下車 江若交通バス上仰木行に乗車 辻バス停で下車 徒歩8分
駐車場もありますが、途中の道は狭いです。


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