あの世の入口に建つとされる「千本えんま堂」は、見るからに地獄の入口のような殺伐観がただよっています。
千本ゑんま堂入口 |
引接寺(いんじょうじ)由緒
寺 号 光明山 歓喜院 引接寺(こうみょうざん かんきいん いんじょうじ)
通 称 千本ゑんま堂
宗 旨 高野山真言宗
御本尊 閻魔法王
開 基 平安初期の年代不詳
開 起 小野篁(平安初期の公卿)
創 建 寛仁元年(1017年)
創 起 定覚上人(比叡山の恵心僧都の弟弟子)
京都の千本通りの北の方に、「千本釈迦堂」と「千本ゑんま堂」が南と北に少し離れて並んでいます。お釈迦様に死出の旅路を示していただき、閻魔様に引導を渡していただくということでしょうか。
「引接」とは「引導」と同じ意味で、仏が衆生を救いとって極楽へ導くことを云います。
「閻魔(えんま)法王」とは、死者の生前の罪に対して判決を下す裁判官です。昔は子供をしつけるときに「嘘ついたらえんまさんに舌を抜かれる」と言ったものです。子供は泣き止み、また地獄絵図には「えんま様」が地獄に入口に来た亡者を裁いて、鬼が火の海に投げ込むという姿が描かれています。こんな恐ろしい「閻魔法王」をお祀りした「千本ゑんま堂」とはどういうお寺でしょう。
「千本ゑんま堂」の入口に掲げられている京都市の紹介文によりますと、「引接寺(通称千本ゑんま堂)」の開基の「小野篁(おのたかむら)」は平安初期の公卿で、あの世とこの世を往来する神通力を持っており、昼は宮中に勤め夜になると「閻魔之庁」に仕えたと伝えられています。「小野篁」は平安京のメインストリートの朱雀大路(ほぼ現在の千本通り)の北側に、「閻魔法王」を祀った祠を安置したことが「千本ゑんま堂」の開基とされています。
小野篁(資料写真Wikipedia) |
その後、寛仁元年(1017年)「比叡山の恵心僧都」の弟弟子の「定覚上人」が「諸人化導引接道」の意を以て当地に「光明山歓喜院引接寺」を開山しました。
本堂 |
閻魔法王
「小野篁」が朱雀大路の北に「閻魔法王」を祀った祠を安置した頃、「千本ゑんま堂」の北西の船岡山の西側には、当時「小野篁」が定めたと言われる3箇所の葬送地「化野(あだしの)」、「鳥辺野(とりべの)」、「蓮台野(れんだいの)」のうちの一つ「蓮台野」が広がっていました。「蓮台野」は平安京の北の外れにあり当時は野原が広がる地で、死者を雨風にさらす葬り方(風葬)をしていたそうです。
当地「千本ゑんま堂」は、「蓮台野」への入口にあたり、当地付近には当時石塔や卒塔婆が無数に立ち並んでいたということから「千本」の地名が残ってるという説があります。
また、当地の付近の地名は「閻魔前町」となっており、当寺の歴史を示しています。
本堂内の内陣には、あの世の裁判長である御本尊「閻魔王座像」と検察官「司命尊」、書記官「司録尊」の三仏が安置されていますが、残念ながら写真撮影禁止ですのでお示しできません。
現存の「閻魔王座像」は長享2年(1488年)に造立されたもので、高さは2.4mあります。
また、当地の付近の地名は「閻魔前町」となっており、当寺の歴史を示しています。
本堂(内陣は閉鎖されており写真撮影禁止) |
本堂内の内陣には、あの世の裁判長である御本尊「閻魔王座像」と検察官「司命尊」、書記官「司録尊」の三仏が安置されていますが、残念ながら写真撮影禁止ですのでお示しできません。
現存の「閻魔王座像」は長享2年(1488年)に造立されたもので、高さは2.4mあります。
お精霊迎えとお精霊送り
「小野篁」は、「お精霊迎え」の法義を授かり、「塔婆供養」と「迎え鏡」によってこの地を現世浄化の根本道場としました。以降この風習は、宗旨・宗派を問わない「盂蘭盆会(うらぼんえ)」として民間信仰が続いています。
京都では毎年8月7日~15日の旧盆に、ご先祖様の精霊がゑんま様の許しを得て各家庭に帰られます。これが「お精霊迎え」です。そしてお盆を家庭で過ごされたご先祖を8月15日~16日に、お送りするするのが「お精霊送り」です。京都の夏の風物詩「五山の送り火」は、8月16日の夜に山に大文字などの火を焚いてご先祖様をお送りする精霊送りの風習の一つです。
「千本ゑんま堂」では、本堂の奥のこの池で「お精霊迎え」を行います。
京都では毎年8月7日~15日の旧盆に、ご先祖様の精霊がゑんま様の許しを得て各家庭に帰られます。これが「お精霊迎え」です。そしてお盆を家庭で過ごされたご先祖を8月15日~16日に、お送りするするのが「お精霊送り」です。京都の夏の風物詩「五山の送り火」は、8月16日の夜に山に大文字などの火を焚いてご先祖様をお送りする精霊送りの風習の一つです。
「千本ゑんま堂」では、本堂の奥のこの池で「お精霊迎え」を行います。
紫式部供養塔
南北朝時代の至徳3年(1386年)、円阿上人の勧請で建立された「紫式部の供養塔」が境内北西の隅にあります。
高さ6m、幅・奥行とも1.85mで大きい十重の石塔です。
高さ6m、幅・奥行とも1.85mで大きい十重の石塔です。
鐘楼
梵鐘は、南北朝時代の康暦元年(1359年)、円阿上人の勧請により鋳造されました。
童観音
平成17年に建立されたブロンズの座像です。昨今子供が巻き込まれる悲惨な事件・事故が多いことから子供の災禍除け・厄除けを祈願するため建立されたそうです。
ゑんま堂狂言、ゑんま堂普賢象桜
5月に行われる「ゑんま堂狂言」は、京都三大念仏狂言の一つで、唯一有言劇となっているそうです。
ゑんま堂普賢象桜は、咲いた時に双葉を持ち、花冠のまま落ちる珍しい桜です。桜の季節に来てみてください。
不思議な建物
「千本ゑんま堂」境内の真南に不思議な建物があります。鉄筋コンクリート3階建ての建物です。建物1階の玄関上の小屋の中には「閻魔法王」の立像があるようです。何をされているのでしょう。不思議です。
アクセス
JR京都駅から市バス206号系統四条大宮方面北大路バスターミナル行き乗車約30分
乾隆校バス停下車徒歩3分
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