「熊野神社」の御神紋の「八咫烏(やたがらす)」はサッカー日本代表のシンボルマークとなっており、「サッカー御守」も授かることができます。
熊野神社(くまのじんじゃ)御由緒
御祭神
主祭神
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
配祀神
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
速玉男尊(はやたまのをのみこと)
事解男尊(ことさかのおのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
配祀神
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
速玉男尊(はやたまのをのみこと)
事解男尊(ことさかのおのみこと)
御神紋
八咫烏(やたがらす)
創 建
弘仁2年(811年)
創 基
日圓上人
摂 社
春日社
御祭神:春日大神、須賀大神、神倉大神
御祭神:春日大神、須賀大神、神倉大神
稲荷社
御祭神:稲荷大神、金毘羅大神
祖霊殿
御祭神:氏神
祖霊殿
御祭神:氏神
通 称
権現さん
ご利益
縁結び・安産・健康長寿・鎮火・厄除け・道中安全
縁結び・安産・健康長寿・鎮火・厄除け・道中安全
「熊野神社」は、「京都三熊野(みくまの)」の一つです。「京都三熊野」は他には「新熊野(いまくまの)神社」、「若王子(にゃくおうじ)神社」があります。
境内の京都市の由緒書によりますと、「熊野神社」は平安初期の弘仁2年(811年)修験道で阿闍梨の日圓上人が国家守護のため、紀州の熊野大神を勧請したことに始まると云われています。
寛治4年(1090年)に創立された※「聖護院」は「熊野神社」を守護神として別当職を置いて管理されたということです。
※注「聖護院」は本山修験宗の寺院で、修験道の寺・山伏の寺で修験道に関係する仏様をお祀りしています。平安神宮の北側の「聖護院門跡」が総本山となっています。
熊野信仰が盛んであった平安末期、後白河法皇は熊野詣でを行うとともに「熊野神社」を厚く崇敬し、紀州の土砂や樹木を持ち帰っては社頭の整備に力を注いだと云います。時は下って室町時代には足利義満から広大な社地を寄進され、社域は鴨川にいたるものとなっていたそうです。その後も歴代天皇に崇敬され、庶民の信仰も集めましたが、応仁の乱により社域は焼失しその後荒廃しました。
江戸時代の寛文6年(1666年)、衰微を嘆いた聖護院宮寛宝親王によって再興され、天保6年(1835年)には大修造が行われました。現在の本殿は、その時に下鴨神社の旧本殿を移築したものです。
境内の京都市の由緒書によりますと、「熊野神社」は平安初期の弘仁2年(811年)修験道で阿闍梨の日圓上人が国家守護のため、紀州の熊野大神を勧請したことに始まると云われています。
寛治4年(1090年)に創立された※「聖護院」は「熊野神社」を守護神として別当職を置いて管理されたということです。
※注「聖護院」は本山修験宗の寺院で、修験道の寺・山伏の寺で修験道に関係する仏様をお祀りしています。平安神宮の北側の「聖護院門跡」が総本山となっています。
熊野信仰が盛んであった平安末期、後白河法皇は熊野詣でを行うとともに「熊野神社」を厚く崇敬し、紀州の土砂や樹木を持ち帰っては社頭の整備に力を注いだと云います。時は下って室町時代には足利義満から広大な社地を寄進され、社域は鴨川にいたるものとなっていたそうです。その後も歴代天皇に崇敬され、庶民の信仰も集めましたが、応仁の乱により社域は焼失しその後荒廃しました。
江戸時代の寛文6年(1666年)、衰微を嘆いた聖護院宮寛宝親王によって再興され、天保6年(1835年)には大修造が行われました。現在の本殿は、その時に下鴨神社の旧本殿を移築したものです。
拝殿 |
本殿 |
本殿内の狛犬 |
本殿の「注連縄(しめなわ)」の上の彫り物はカラスが三羽彫られています。屋根上の飾り瓦には「八咫烏」が彫られています。
大正元年(1912年)に鳥居前の丸太町通りに京都市電丸太町線が開通し、更に昭和元年(1926年)には神社東側の東大路通りの拡幅などがあり、現在の社域になりました。
サッカー御守と八咫烏
紀州の「熊野権現」の御祭神を勧請したため、御神紋も「熊野権現」と同様に「八咫烏」となっています。
ご存じのように「八咫烏」はサッカー日本代表のシンボルマークになっていますが、これは日本サッカーの生みの親と云われる「中村覚之助」が、紀州那智勝浦町の出身であったことから、「覚之助」の功績を湛える意味で出身地のゆかりの地のものにしたのではないかと考えられているそうです。那智勝浦といえば「熊野権現」をお祀りする「熊野三山」で、その御神紋は「八咫烏」ですので、京都の「熊野神社」の御神紋も「八咫烏」です。
「熊野神社」の授与品のなかには当然「サッカー御守」があります。サッカー日本代表がユニフォームに付けているシンボルマークの付いたカッコいいお守りです。(700円)
「御朱印帳」にも「八咫烏」がデザインされたものがあります。「絵馬」にも「八咫烏」が描かれています。「おみくじ」自動販売機もあります。(おみくじ1回200円)
鳥居側の入口の門にも、「八咫烏」がデザインされています。
摂社 他
春日社
稲荷社
祖霊殿
手水舎
八ッ橋発祥の地
当地「聖護院」は京都銘菓「八ッ橋」の発祥の地と云われています。八ッ橋は最近は「生八ッ橋」が主流で、京都へ修学旅行に来た中高生の定番のお土産となっています。生八ッ橋も最近はいろいろな味があるようで、黒ゴマ味とかいちご味などもあるようです。
下の2枚の写真は何れも資料写真(Wikipedia)です。
「熊野神社」の北側には「本家西尾八ッ橋」の熊野店があります。参詣の帰りに土産物としてお求めになられてはいかがですか。
「八ッ橋」は、西尾八ッ橋や聖護院八ッ橋、おたべ、井筒八ッ橋など本家や元祖など多くの会社が製造しており、味の開発や新製品の開発にしのぎを削っておられます。ここ聖護院は八ッ橋発祥の地だけあって、八ッ橋の会社がひしめています。「熊野神社」前の交差点の向かいの角には「聖護院八ッ橋総本店」があります。
アクセス
JR京都駅前から京都市バス206号系統北大路バスターミナル行き乗車
熊野神社前バス停下車徒歩2分
下の2枚の写真は何れも資料写真(Wikipedia)です。
八ッ橋 |
生八ッ橋 |
「熊野神社」境内には、明治12年(1879年)聖護院村の八ッ橋屋に生まれて、84年の生涯を八ッ橋の発展のために心血を注いだと云われる「本家西尾八ッ橋」の西尾為治の銅像と「八ッ橋発祥の地」の石碑があります。
「熊野神社」の北側には「本家西尾八ッ橋」の熊野店があります。参詣の帰りに土産物としてお求めになられてはいかがですか。
「八ッ橋」は、西尾八ッ橋や聖護院八ッ橋、おたべ、井筒八ッ橋など本家や元祖など多くの会社が製造しており、味の開発や新製品の開発にしのぎを削っておられます。ここ聖護院は八ッ橋発祥の地だけあって、八ッ橋の会社がひしめています。「熊野神社」前の交差点の向かいの角には「聖護院八ッ橋総本店」があります。
説明を追加 |
JR京都駅前から京都市バス206号系統北大路バスターミナル行き乗車
熊野神社前バス停下車徒歩2分
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