2019年8月28日水曜日

京都「寺町通り」街歩き その1(二条通り~丸太町通り)

京都市の「寺町通り」は、京都御苑(御所)の直ぐ東側を通る南北の通りで、南は五条通りから北は紫明通りまでの通りです。天正18年(1590年)の「豊臣秀吉」の都市計画によって、市内各地にあった寺院を移転させ通りの東側に配置させたことから「寺町通り」と称されることとなりました。今回は、南の二条通りから丸太町通りまで歩きます。

寺町通り界隈

「寺町通り(てらまちどおり)」は、大きなバス通りの河原町通りから1筋西側に入り、また通りの東側には観光寺院ではないこじんまりした寺院が並んでいるため、静かな通りで街歩きには最適な通りです。

歴史のある老舗の店と新しい店が仲良く並んでいることは、街歩きをより楽しくしてくれるものとなっています。

それでは、寺町通りを二条通りから北に向かって歩いていきましょう。

 寺町二条交差点 


最初は「寺町二条」の交差点です。寺町通りはここから二条通りへは同じ道幅でゆるやかなカーブで曲がっていきます。これは明治時代に寺町通りから二条通りに「京都電気鉄道の路面電車」が走っていたなごりです。「京都電気鉄道」が京都市営電車に代わってからは、寺町通りの路面電車は廃止され、今では軌条のあった道路の面影が残っているのみとなっています。その後京都市営バスも走っていたそうですが、現在はその路線も廃止され静かな通りとなっています。

なお、寺町通りはこの交差点から南へは、一車線の北向き一方通行道路となります。

上側が寺町通りで右手に向かって二条通り



 新・古美術 熊谷道具處 


創業約100年だそうです。骨董・古美術の店です。

熊谷道具處



 西洋民芸の店 グランピエ丁子屋 


多国籍な民芸品がところせましと並べられているお店です。時間を忘れるほど楽しいお店です。

グランピエ丁子屋



 一保堂茶舗 京都本店 


日本茶の専門店「一保堂」です。創業は享保2年(1717年)ということで、300年続く老舗中の老舗です。「一保堂」で扱われているのは「京銘茶」です。店内にはその場でお茶を楽しめる喫茶室もあります。

一保堂茶舗京都本店



 本因坊発祥の地 


当地には、その昔「寂光寺(じゃっこうじ)」という寺院があり、寂光寺の塔頭「本因坊」に住んでいた僧侶の「日海(にっかい)」は、織田信長・豊臣秀吉時代から囲碁の名人として名高く、時代は移って江戸時代に入ると、徳川家康の命によって寺を弟子に譲り、※「本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ)」と改名して江戸幕府の「碁所(ごどころ)」を任されました。

「算砂」は江戸に屋敷を拝領した後も、京都寺町の「本因坊」を本居として、春に江戸に下り、年末に京都に戻る暮らしをしていました。

以降、本因坊の名は世襲で受け継がれましたが、「二十一世秀哉(しゅうさい)」は、引退後にその名跡を日本棋院に譲渡し、選手権制の「本因坊戦」に導きました。

「寂光寺」はその後、宝永5年(1708年)の宝永の大火で罹災し、現在は京都市東山区仁王門通東山西入ルに移転し、「算砂」愛用の盤石や、「算砂」直筆の囲碁狂歌などの貴重な史料を保蔵しています。

※「本因坊算砂」:永禄2年(1559年)~元和9年(1623年)

寺町通り沿いの歩道上に置かれた「本因坊発祥の地」のモニュメントは、碁盤を挟んで両側に対局坐が2つ配置されています。

「本因坊発祥の地」のモニュメント
モニュメントの後ろが寂光寺があった場所



 革堂行願寺 

「霊麀山行願寺(れいゆうざんぎょうがんじ)」は天台宗の寺院で、「西国三十三所の第十九番札所」となっています。


別の投稿 西国三十三所巡り 京都の第十九番札所「革堂行願寺」でもご紹介していますので、そちらもご確認いただければ幸いです




 下御霊神社 


「下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)」は、疫病や政争で荒れた平安時代に、冤罪で命を絶たれた貴人の霊を慰めるために貴人の御霊をお祀りした神社です。貴人の祟りをお祀りしているせいか何かしらパワーを感じる神社です。

下御霊神社
別の投稿「京都の下御霊神社は冤罪のまま亡くなった貴人の祟りを慰めるためにお祀りしている神社です」でもご紹介していますのでご確認いただければ幸いです。


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