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2020年3月8日日曜日

「嵐の聖地」として有名な滋賀県栗東市の「大野神社」は由緒正しい神社です

滋賀県の栗東市のJRA(日本中央競馬会)の「栗東トレーニングセンター」の近くにある「大野神社」は、ジャニーズの「嵐の聖地」として全国的に有名になりました。「大野神社」には全国の「嵐」ファンの老若の多くの女性たちが「嵐」のご利益にあやかろうと参拝に訪れていました。


2019年10月25日金曜日

滋賀県大津市の「小野妹子神社」は「唐臼山古墳」の上に建っています

琵琶湖を望む滋賀県大津市の丘陵地の中の小高い古墳の上に「小野妹子神社」があります。この古墳は「小野妹子」の墓と云われています。「小野妹子」はご存知のとおり飛鳥時代の推古天皇の時代に遣隋使として中国の「隋」に天皇の国書を携えて派遣された外交官です。「小野妹子神社」は、「小野妹子」を御祭神として祀っています。

一之鳥居

2019年10月24日木曜日

滋賀大津の「聖衆来迎寺」の表門は明智光秀の坂本城の門を移築しました

滋賀県大津市比叡辻の「聖衆来迎寺」には、織田信長の重臣の「森可成」の墓があります。「森可成」は「本能寺の変」で信長とともに「明智光秀」に討たれた「森蘭丸」の父親です。「聖衆来迎寺」は、多くの文化遺産を蔵していることから「近江の正倉院」と云われ、また堂宇の建物も往時の特徴を残した貴重な文化財となっています。


2019年10月6日日曜日

滋賀県大津市小野の「上品寺」は「小野篁」が開基です

「上品寺(じようぼんじ)は、平安時代のエリート貴族で、神通力を駆使して昼間は朝廷勤め、夜には冥府で閻魔大王の裁判の補助をしていたと云われている「小野篁(たかむら)が開基となって創建しました。


2019年10月5日土曜日

滋賀大津「義仲寺」は芭蕉の墓や若冲の天井絵など見処満載(その3)

前回の「滋賀大津「義仲寺」は芭蕉の墓や若冲の天井絵など見処満載(その2)」では、「義仲寺」境内の「木曽義仲の墓」「松尾芭蕉の墓」、「翁堂」「伊藤若冲」の天井絵や、「史料館」の展示品など、境内のその他の見処についてご紹介しました。
今回は、「巴御前」を供養する「巴塚」「巴地蔵堂」、芭蕉に関する史料を収蔵する「粟津文庫」、境内の「句碑」などを紹介します。

「義仲寺」山門内 井戸と芭蕉


2019年10月4日金曜日

滋賀大津「義仲寺」は芭蕉の墓や若冲の天井絵など見処満載(その2)

前回の「滋賀大津「義仲寺」は芭蕉の墓や若冲の天井絵など見処満載(その1)」では、「義仲寺」の由緒や「木曽義仲」の生涯と「巴御前」、「松尾芭蕉」と「義仲寺」の関わりについてご紹介させていただきました。今回は「翁堂」「伊藤若冲」の天井絵や、「史料館」の展示品など、境内のその他の見処についてご紹介させていただきます。


2019年10月2日水曜日

滋賀大津「義仲寺」は芭蕉の墓や若冲の天井絵など見処満載(その1)

「義仲寺」は滋賀県大津市の膳所にあります。江戸時代の俳人「松尾芭蕉」は近江と琵琶湖と、そして「木曽義仲」をこよなく愛し、近江に来たときには「義仲」が眠る「義仲寺」を拠点にして活動していたと云います。


2019年9月30日月曜日

滋賀県大津市衣川に謎の廃寺遺跡「衣川廃寺跡」があります

滋賀県大津市衣川(堅田の南)の静かな住宅街に「衣川廃寺跡」があります。7世紀に建立された寺院跡ですが、謎の廃寺となっています。
いったいここに寺院はどこまで築かれたのか、竣工できたのか、工事を途中で中断したのか、何故廃寺となったのか、これらの謎は現在も解明されていません。

「衣川廃寺」金堂基壇跡

2019年9月29日日曜日

大津市の「天皇神社」は京都の八坂神社の「牛頭天王」を勧請しました

滋賀県大津市和邇にある「天皇神社」は、京都の「感神院祇園社(現八坂神社)」の御祭神「牛頭天王」を勧請して創建されました。社名の「天皇神社」は「天王」を読み替えたものということは明白です。
天皇神社鳥居

2019年9月12日木曜日

大津の「鞍掛神社」には悲劇の皇子「大友皇子」が祀られています

滋賀県大津市衣川の「鞍掛神社」には、「天智天皇」の第一皇子で明治になってようやく「第39代弘文天皇」として歴代天皇に列せられた「大友皇子」が祀られています。
「大友皇子」は、天智天皇亡き後の権力闘争「壬申の乱」で叔父にあたる「大海人皇子(後の天武天皇)」に追われ、ここ「衣川」の地で自刃しました。


2019年9月10日火曜日

滋賀県大津市の「山ノ神遺跡」は「近江大津宮」遷都のための資材製造工場

滋賀県大津市一里山の住宅地に「山ノ神遺跡」はあります。ここでは、7世紀に「天智天皇」が大津市錦織の地に「近江大津宮」を築造した際に瓦などの工事資材を製造し、遷都後は中央政権の政務のために必要な器材等を製造していました。


2019年9月9日月曜日

滋賀県大津市「小野道風神社」は「書道の神」をお祀りしています

滋賀県大津市小野の「小野道風神社」には、平安中期に書家として名を馳せ、和洋書道の基礎を築いたとされる「小野道風」が祀られています。
「小野道風」は、神通力を持って閻魔大王と親交のあったとされる「小野篁」の孫にあたります。

2019年9月6日金曜日

滋賀県大津市の「小野神社」は餅づくりの始祖と小野篁をお祀りしています

滋賀県大津市の北部にある「小野神社」は、飛鳥時代「遣隋使」として中国大陸の隋に渡った「小野妹子」が小野一族の始祖で御餅を最初に作った「天足彦国押人命」をお祀りしています。またその後には、小野氏の末裔の平安初期の公卿で「神通力」を持っていたとされる天才「小野篁」をお祀りした摂社「小野篁神社」を造営しています。
「小野神社」の社殿は、古墳の上に建っているといわれ、また境内の森も凛としており、その名も「パワーの木」と称する神木もあり、霊気あふれるパワースポットです。


2019年8月26日月曜日

滋賀県大津市に古代たたら製鉄の「源内峠遺跡」が!

滋賀県大津市の瀬田丘陵の中央部、「びわこ文化公園」内の龍谷大学瀬田キャンパスへ向かう道路「学園道路」の途中に、古代たたら製鉄炉の「源内峠遺跡」があります。

復元された製鉄炉(1号炉)

2019年8月25日日曜日

大津「真常寺」は大津の街中にひっそりと建っていました

「真常寺」は、滋賀県大津市末広町のお寺が密集している中で街並みに溶け込んで、ひっそりと佇んでいました。
門前には「日蓮上人」の立派な立像が立っています。

山門

2019年8月23日金曜日

大津市堅田の街歩き 堅田はけっこう奥が深いです

京都から大津に移り住んで約30年たちます。琵琶湖の西側の湖西地域に住んでいますが、まだまだ知らないことばかりで、遅ればせながら半年ほど前から堅田周辺の街歩きをしています。知れば知るほど堅田はけっこう奥が深いなーと感じています。

浮御堂

大津の「宇佐八幡宮」は九州大分の「宇佐神宮」を分霊・勧請しています

滋賀県大津市の「宇佐八幡宮」は、近江神宮の背後の山「宇佐山」の中腹にあります。参道は整備されてはいますが、けっこう急な坂道ですのでしっかりした服装で足元を固めてお詣りしてください。冬場に雪の積もった後は滑りますので、注意が必要です。

一之鳥居

2019年8月22日木曜日

大津市衣川の「梅之宮神社」は子授け・安産・酒造り・縁結びにご利益

滋賀県大津市衣川の「梅之宮神社」は、京都梅津の「梅宮大社」の四柱の神様を勧請してお祀りしています。
・・・京都の梅宮大社の分祀が大津にありました。感動です。
「梅宮神社」は子授け・安産・酒造り・縁結びの神様として崇められています。


2019年8月21日水曜日

明治の中ごろ日本を揺るがす大事件が大津の街角で起きていました

「ロシアが日本に攻めて来る!」そんな噂も流れるほどの大事件が、今はひっそりとした大津の街角で起きていました。
国賓として来日していたロシア帝国皇太子ニコライに対し、大津の街角で警護していた警察官が突然サーベルで斬り付け負傷させたのです。下の写真は、事件現場付近の街角にある事件の碑です。「此付近露国皇太子遭難の地」と刻んであります。


2019年8月20日火曜日

街歩記「日本基督教団」大津教会と堅田教会と「ヴォーリス」

滋賀県大津市の旧市街地を街歩記です。あまり知られていませんが、大津は古来より歴史上の重要な拠点となった地で、あれこれと知れば知るほど大津は奥深いです。
大津はまた、近代史の中でも面白い足跡を残しており、今回は「日本基督教団」「大津教会」「堅田教会」の建物を紹介させていただきます。

日本基督教団大津教会