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2020年8月25日火曜日

「里の駅大原」には地元大原や近郊の農家で採れた旬の新鮮野菜と杵つきのお餅などが並んでいます

大原は、京都市の北東部にあって「三千院」「寂光院」などの有名なお寺もあり、全国的に有名な観光地ですが、それだけでなく山里の景色も、春の桜から初夏の青もみじ、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々様々な景色を楽しむことができる山里です。「里の駅大原」は、大原の里や近郊農家で採れた旬の新鮮野菜や京野菜が並べられ、京都の有名レストランのシェフや、隣接する滋賀県からのお客さんが絶えず訪れ、また大阪や神戸方面からもわざわざ買い求めに来ています。駅構内で作られている杵つき餅もよもぎ餅やしそ餅もあり、人気商品となっています。

里の駅 大原

2020年7月28日火曜日

「道の駅 藤樹の里あどがわ」は高島の名産品と特産品、農産品、伝統工芸品が凝縮された道の駅です

滋賀県高島市安曇川町の「道の駅 藤樹の里あどがわ」は、国道161号線沿いの関西地方と北陸地方を結ぶ交通の要衝の地に店を構えているという好立地と、地域の名産品と特産品の販売に力を入れている点もあって、2014年には年間利用者数が約88万人あったということで、滋賀県下の道の駅でNo.1になりました。鯖寿司やへしこ、鮎の佃煮などの地場ならではの味の特産品は、北陸方面からの旅行や仕事帰りの人たちのお土産として人気を集めています。

道の駅 藤樹の里あどがわ

2020年7月20日月曜日

「本多神社」の祭神は膳所藩主の本多家四柱、境内の稲荷山古墳の石室には子授地蔵が安置されています

滋賀県大津市御殿浜の「本多神社」には、膳所藩で最も長く藩主を勤めた本多家の累代四柱が御祭神として祀られています。本殿は旧膳所城の瓦ヶ浜御殿の跡に鎮座し、境内は紫陽花の花が咲き乱れていました。また境内には2基の円形古墳が現存し、その内の一基稲荷山古墳の石室には、鎌倉時代に造られた「子授地蔵」が安置され、山上には「広鶴稲荷」が鎮座しています。境内近くには、幕末の動乱に散った尊王攘夷派の膳所藩十一烈士を祀る「丹保之宮」があります。

本多神社境内古墳の紫陽花の花

2020年7月14日火曜日

【麒麟がくる】「明智左馬之助湖水渡碑」は大津市打出浜のなぎさ通り沿いにひっそりと立っています

名神高速道路を大津ICで降りて琵琶湖に向かって走ると、突き当たったところに「明智左馬之助湖水渡碑」と刻まれた石標が立っています。本能寺の変で「織田信長」を討った「明智光秀」は、直後の「山崎の合戦」で「豊臣秀吉」に敗れ、坂本城への敗走中に命を落としました。この知らせを安土城で聞いた「光秀」の重臣「明智左馬之助(秀満)」は、坂本城を目指し出陣しましたが、大津のこの地に来て「秀吉」の軍勢に行く手を阻まれました。「左馬之助」は大胆にも馬に騎乗したまま琵琶湖の乗り入れ、琵琶湖を渡って坂本城に向かいました。この地は「左馬之助」の湖水渡りの伝説の地です。

明智左馬之助湖水渡碑

2020年7月10日金曜日

滋賀県大津市中庄の「篠津神社」は江戸時代には「膳所藩」の歴代藩主の崇敬が長く続きました

滋賀県大津市中庄の住宅街の中に「篠津神社」は鎮座しています。古くには「大梵天王」と号して、「天王社」または「天王宮」と呼ばれ「産土神」として庶民の信仰を集めていました。江戸時代に入ると、「徳川家康」の指示で設立された「膳所藩」の歴代藩主の崇敬は篤く、特に最も長く13代220年にわたって藩主を務めた本多家は、社領の寄進や本殿の造営、社殿の改修も行うなど、「篠津神社」は手厚く護られてきました。

篠津神社 本殿

2020年7月6日月曜日

「膳所城」は東海道・中山道・北国道の三街道と琵琶湖の湖上交通を制するため、徳川家康の命で築城されました

滋賀県大津市膳所地先の琵琶湖にせり出した埼に「膳所城」は築かれていました。「膳所城」は、徳川家康が関ヶ原の合戦で勝利した直後に、京の背後の守りと、未だ豊臣秀頼が居城する大阪城への備えの城として、藤堂高虎に設計させ、譜代大名に命じて築城工事を施工させました。城主兼膳所藩藩主には、江戸幕府がサラリーマン大名を任命し、当時の交通の重要拠点であった大津を通過する三街道と、琵琶湖の湖上交通の警護にあたらせました。

ファイル:伊勢さんぐうめいしょずえ.pngのZeze城前の船
膳所城と琵琶湖の渡し舟(by Wikimedia Commons)

2020年6月29日月曜日

滋賀県大津市の「膳所神社」は天智天皇が近江大津京に遷都した際に御厨として定めた地です

滋賀県大津市に「膳所」という地名があります。この地は、天智天皇が「近江大津京」を開いた際に、天皇に琵琶湖の魚介類を献上するための「御厨」として定めた場所です。当地は「浜田」という地名であったことから「陪膳(おもの)の浜田」と呼ばれるようになり、やがて「膳所」と呼ばれるようになりました。後に大和国から「豊受比売命(御食津神)」の分霊を勧請して、「大膳職の御厨神」としたのが「膳所神社」の始まりとされています。

膳所神社表門(重要文化財)

2020年6月26日金曜日

滋賀県大津市穴太の「高穴穂神社」は神話に描かれた古代の都が営まれていた地に鎮座しています

滋賀県大津市穴太は「古事記」の記述によりますと、第12代「景行天皇」が古代の都「高穴穂宮」を造営し、遷都した地とされており、「高穴穂神社(たかあなほじんじゃ)」は「景行天皇」が皇居としていた地に、鎮座したとされています。更にこの地は、飛鳥時代には渡来人が多く住み付いた地でもあったということで、現在は静かな住宅地のこの地が、かつては激動の表舞台にあったということに、歴史のロマンを感じざるを得ません。

「高穴穂宮址」周囲の「穴太の森」

2020年6月1日月曜日

滋賀近江八幡の「日牟禮八幡宮」の春を呼ぶ豪壮な火祭り「左義長まつり」と「八幡まつり」

滋賀県近江八幡市の「日牟禮八幡宮」は、水郷のあるノスタルジックな街並みの中に鎮座し、城のない城下町の中で、近江商人の守護神として崇敬を集めてきました。「日牟禮八幡宮」の祭礼「左義長まつり」「八幡まつり」は、豪壮な火祭りとして有名で、近隣在所だけでなく遠方からも訪れる多くの人で賑わいます。

「日牟禮八幡宮」拝殿

2020年5月26日火曜日

「覚性律庵」は千日回峰行を満行した大阿闍梨「光永澄道」和尚が再興しました

「覚性律庵」は比叡山系の山裾が、琵琶湖の水際に向かってなだらかに下っていく途中の、滋賀県大津市仰木の山中に静かに建っています。「覚性律庵」は、比叡山の荒行「千日回峰行」を満行された「北嶺大先達大行満大阿闍梨」の「光永澄道」大僧正が住職となって再興され、「西国愛染明王十七霊場第九番霊場」ともなっている天台宗の寺院です。

愛染堂(法雲堂)

2020年5月19日火曜日

大津市伊香立の「環来神社」のご利益は旅行や出張からの無事帰還です

滋賀県大津市伊香立途中町の「環来神社(もどろきじんじゃ)」は、当地「龍華の荘」で生まれ、第50代桓武天皇の皇妃となった「藤原旅子(ふじわらのたびこ)」を御祭神として祀っています。「旅子」が逝去後に望みどおりに故郷「龍華の荘」の梛(なぎ)の大木の下に還れたことから、「必ずや無事に還れる」という御神徳が広まり、日清・日露戦争そして太平洋戦争の際には、全国から出征兵士の家族が参拝し、無事の帰還を祈願しました。

一之鳥居

2020年5月11日月曜日

大津市仰木の「小椋神社」は天智天皇の従者「加太夫仙人」が創祀しました

滋賀県大津市仰木は、琵琶湖から比叡山に向かう琵琶湖西岸の丘陵地帯に広がる農村地域で、裾野にはUR都市機構が開発した住宅地「レークピア大津・仰木の里」があります。「小椋神社」は仰木の地の農村地帯の中にあって、比叡山延暦寺へ向かう奥比叡ドライブウェーの入り口付近にある、古い歴史を持った格式の高い神社です。

小椋神社 一之鳥居

2020年4月21日火曜日

大津市伊香立の「八所神社」は天智天皇の朝臣「平群飛鳥真人」が勧請しました

滋賀県大津市伊香立に鎮座する「八所神社(はっしょじんじゃ)」は、飛鳥時代に「天智天皇」が「近江大津京」へ遷都した際に、随従した朝臣「平群飛鳥真人」が、伊香立の地を食邑地として与えられ、当地に自身の祖先の「天大吉備諸進命」を勧請し社殿を造営したことに始まり、約1350年の歴史を有します。


2020年4月20日月曜日

滋賀県栗東市の「大宝神社」は宝くじのパワースポットとして隠れたブームです

滋賀県栗東市の「大宝神社(だいほうじんじゃ)」は、旧中山道の街道沿いの「綣(へそ)」という名前の地に鎮座しています。「大宝元年(701年)」の創建で、当時流行った疫病を鎮めるため、「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」を御祭神にお祀りした歴史と由緒のある神社です。最近では神社の名前から「大きな宝」のパワーを求めて、多くの宝くじファンが参詣しています。

中山道沿いの参道入り口

2020年4月17日金曜日

大津市伊香立の「新知恩院」は知恩院が応仁の乱から疎開して創建しました

「新知恩院(しんちおいん)」は、滋賀県大津市伊香立にある浄土宗の寺院です。応仁の乱の戦火に巻き込まれて炎上した京都東山の「知恩院(ちおいん)」は、焼け残った仏像や経典などを避難させようとして、当地に寺院を創建して避難させてきた仏像や経典などを安置して「新知恩院」と名付けました。

山門

大津市伊香立の「融神社」の御祭神は源氏物語の光源氏のモデル「源融」です

大津市伊香立は、現在も田園風景の広がるのどかな里山の地ですが、京都大原から山一つ越えた地ということもあり、古来より歴史のなかで名を残してきた地でもあります。「融神社(とおるじんじゃ)」は、平安時代前期に当地に荘園を構えていた嵯峨天皇の第18皇子「源融(みなもとのとおる)」をお祀りしています。「源融」は紫式部が書いた「源氏物語」の「光源氏(ひかるげんじ)」の実在のモデルとされています。

一之鳥居

2020年3月27日金曜日

滋賀県大津市伊香立の「香の里史料館」は隠れた一級の郷土資料館です

滋賀県大津市伊香立地区に、昔の暮らしの道具を展示した郷土資料館「香の里史料館(かおりのさとしりょうかん)」があります。大正から昭和の田舎の生活を再現した展示物や民具、農業機械など歴史的に貴重な展示物が多く集められており、田舎育ちの私は幼いころにタイムスリップし、懐かしさがこみ上げてきました。

囲炉裏の間

2020年3月22日日曜日

滋賀県野洲市の「御上神社」は「近江富士 三上山」をご神体として祀ります

名神高速道路を京都方面から名古屋方面に向かって走行し、栗東インターチェンジを過ぎてしばらくすると左手に、富士山に似た形の良い山が見えてきます。「近江富士」とも呼ばれる「三上山(みかみやま)」です。滋賀県野洲市の「御上神社(みかみじんじゃ)」は、近江富士「三上山」をご神体としてお祀りする由緒ある神社です。

楼門

2020年3月16日月曜日

「牛に引かれて新善光寺参り」滋賀県栗東市の「新善光寺」にお参りしました


滋賀県栗東市にかつて「西の善光寺」と云われ大変栄えていた「新善光寺」があります。「新善光寺」には、信濃の「善光寺」「善光寺如来」を分霊した「一光三尊善光寺如来」をご本尊としてお祀りしています。


2020年3月14日土曜日

「道の駅アグリの郷栗東」は「栗東のおいしい」が豊富に並んでいます

滋賀県栗東市の名神高速道路の栗東インターチェンジの近くに「道の駅アグリの郷栗東」があります。地元栗東市豊富な農産物と、「まるっぽ豆腐」などの農産加工品が豊富に並べられています。地元の新鮮野菜を使った定食が食べられるレストランもあります。