2019年8月23日金曜日

大津の「宇佐八幡宮」は九州大分の「宇佐神宮」を分霊・勧請しています

滋賀県大津市の「宇佐八幡宮」は、近江神宮の背後の山「宇佐山」の中腹にあります。参道は整備されてはいますが、けっこう急な坂道ですのでしっかりした服装で足元を固めてお詣りしてください。冬場に雪の積もった後は滑りますので、注意が必要です。

一之鳥居

 宇佐八幡宮(うさはちのまんぐう)御由緒 



御祭神 
八幡大神 応神天皇(はちまんおおかみ おうじんてんのう)

御神紋
三つ巴

創 建
治暦元年(1065年)

創 基
源頼義(平安中期の武士、鎮守府将軍を務めました)
 
摂 社
若宮八幡宮
丹後宮
蛭子社
高良社(稲荷社)

ご利益
勝運招来、子供の守り神(かんの虫)

「源頼義」は源頼朝の五代前の平安時代中期の武士で、奥州を担当する鎮守府将軍時代に奥州で12年続いた「前九年の役」を鎮圧しました。頼義はこの後「伊代守」に任じられました。その後退任した後は大津の「天智天皇」が開いた都「近江大津京」があった錦織荘の地に館を構え隠居生活を送りながら出家し、これまで共に戦で命を落とした者の霊を弔うべく、全国各地に八幡神社を創建しました。

治暦元年(1065年)頼義は、九州豊前の国大分の宇佐神宮を、此の付近の鳩の群れが導き示した地に分霊・勧請し、「宇佐八幡宮」と名付けました。このとき背後の山も「宇佐山」と名付けられました。
応神天皇は元々「武勲の神」として崇められてきましたが、ここ「宇佐八幡宮」では「武勲」の神としてだけでなく、地域の「産土神」として崇敬され、また「子供の疳(かん)の虫」にご利益のあることから「むし八幡」とも称せられて、「子供の守り神」として広く信仰されています。このことから「宇佐八幡宮」では、「子供のむし除け祈願」として鳩の人形に子供の名前を書いて奉納します。


参道の入口手前には、「むし八幡宮 子供の守神 宇佐八幡宮」の標識看板があります。
その左側にある建物は、参道の坂道がきついためでしょう。「遥拝所」があります。



宇佐八幡宮の標柱
参道を登ってしばらくいくと、「御足形」がお祀りされています。
宇佐八幡宮の説明板によると、
此錦郡郷に居を構えた源頼義公が八幡宮を創建せんと検分の時此の岩上に神鳩が現れ公を建立の地に誘導す
依って治暦元年山腹に宇佐八幡宮を建立す
この岩面の沓形は御神示の跡で御足形と称し今に至るまで健脚を祈り霊験を受ける人多く信仰が寄せられている。 

 



この後もきびしい登りは続きます。



しばらく登ると右手に「金殿井(かなどのい)」への門があり、更に進むと井戸を囲った祠があります。

天智天皇が近江大津京を開いたときのことです。あるとき天皇は病に倒れました。このとき「金」という中臣がこの井戸の水を献上したところ、天皇の病が平癒しました。このことからこの井戸を「金殿井」と称して、「宇佐八幡宮」創建の際に「御神水」として一般にも公開してきました。以来難病にきくありがたい水と伝えられています。

なお、飲まれる場合は自己責任でお願いします。




更に登ると最後に階段が出てきます。
これを登ると、拝殿に到着します。



神楽殿
拝殿
本殿と両脇に摂社
本殿
本殿の周囲には、子供の化身の鳩の人形が奉納されています。



御神紋は三つ巴ですが、本殿の垂れ幕には鳩の紋があり、本殿の額彫刻も鳩です。





焼け焦げた建物の礎石

「宇佐八幡宮」は織田信長と比叡山延暦寺との「宇佐山城」の戦の際に焼失しています。境内にはこのとき焼失した建物の礎石が置かれています。表面の焼け焦げた跡を見ても
戦のすさまじさと、現実に「宇佐八幡宮」が焼失したということが分かります。




手水舎



豊平稲荷

下山途中に「豊平稲荷」があります。





汗をかきながらのお詣りでしたが、いい運動にもなり、これも一つのご利益をいただけたものと思います。
宇佐山の頂上には、織田信長が築城させた石垣のあった山城の「宇佐山城」址があります。「明智光秀」も城主となった山城です。次回こちらに来るときには是非登ってみたいと思います。

アクセス
京阪電鉄 石坂線 近江神宮前駅下車 徒歩30分~1時間(ゆっくり登って下さい)

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