2019年8月23日金曜日

大津市堅田の街歩き 堅田はけっこう奥が深いです

京都から大津に移り住んで約30年たちます。琵琶湖の西側の湖西地域に住んでいますが、まだまだ知らないことばかりで、遅ればせながら半年ほど前から堅田周辺の街歩きをしています。知れば知るほど堅田はけっこう奥が深いなーと感じています。

浮御堂
「堅田」は琵琶湖の湖西地域の滋賀県大津市の北部、琵琶湖の狭窄部の「琵琶湖大橋」のたもとに広がっています。周辺には「春日山古墳群」をはじめとして5世紀頃の古墳が多くあり、歴史を感じる地域です。
また、古来より琵琶湖の水運をはじめ湖上交通の要衝にあり、琵琶湖沿岸で最大の自治組織が築かれていました。寺院も多く宗旨も多様にあります。

堅田地域の神社や寺院は別の投稿で紹介させていただいていますが、そちらでも堅田は歴史があり奥の深い地域だと感じています。

 堅田の文学散歩 


堅田を題材にした文学は古くからあります。

 一休禅師修養の地「祥瑞寺」 


「一休さん」の一休禅師は、堅田の「祥瑞寺」で修行して悟りを開いています。このときの心境を詠んだ歌を残しています。

「有漏路より 無漏路へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」

祥瑞寺 山門

 堅田に何度か訪れた「松尾芭蕉」 


「松尾芭蕉」は、琵琶湖を望む近江の地が気に入って、「奥の細道」の旅の終わりころから度々大津の地や堅田を訪れています。

「鎖あけて 月さしいれよ 浮御堂」  ・・・ 満月寺 浮御堂

浮御堂の歌碑

「病雁の 夜寒に落ちて 旅寝哉」 ・・・ 本福寺



「朝茶飲む 僧静かなり 菊の花」 ・・・ 祥瑞寺



「海士の屋は 小海老にまじる いとど哉」 ・・・ 堅田漁港の入口



「堅田十六夜の弁」 ・・・ 堅田十六夜公園

「芭蕉」は晩年、大津膳所の「義仲寺」に滞在することが多かったようです。そのころの琵琶湖は山側に湖岸が迫っており「義仲寺」の前が湖岸であったと想像できます。当時お酒も入りよい心地になっていた芭蕉は、門人に命じて船を出させ堅田まで漕ぎ寄せ、お酒とともに歌を愉しみます。この時の心情を綴ったのが「十六夜の弁」です。

十六夜公園
十六夜の弁の碑

芭蕉の句はこの他に多数あります。

 芭蕉の門人の碑など 


「芭蕉」の門人は」「芭門」と呼ばれ全国にいました。ここ近江の地にも「芭門」の俳人が多く、「本福寺」の住職「明式」は芭蕉の門人となり「千那」の俳号を与えられて二足のわらじで活動していました。

「時雨きや 並びかねたる 魦船」 ・・・ 本福寺 千那の句



堅田には、芭蕉の高弟「室井其角(たからいきかく)」の出生地があります。





 近代の文学碑など 


 高浜虚子の句碑 

「湖も 此辺にして 鳥渡る」 ・・・堅田の「浮御堂」沖の「高浜虚子」の句碑

なんでこんな琵琶湖の湖中にあるのでしょうか?



 城山三郎の文学碑 

昭和43年3月「別冊文芸春秋」発表の「一歩の距離 小説予科練」より




 三島由紀夫の文学碑 

昭和39年1月~10月 雑誌「群像」掲載 「絹と明察」





 奥野椰子夫 顕彰の碑 


堅田出身の作詞家「奥野椰子夫」の顕彰碑です。「琵琶湖哀歌」を作詞しています。




 堅田の防塁 「切」 


堅田には、防塁の一つとして石垣で防御する「切」が築かれました。この「宮の切」は最初に築かれたものです。







 堅田の内湖の真珠養殖 


琵琶湖の内湖では、真珠の養殖が行われています。
「イケチョウガイ」と呼ばれる淡水に棲む貝に「核」を埋め込み、これを貝の成分で巻き込む習性を利用して真珠を養殖しています。

湖中に立ち並ぶのが養殖場
堅田には、この他にも堅田の奥の深さを感じさせるものが多くあります。皆さんにも是非「堅田千軒」と呼ばれた成熟して、繁栄した街並みの片鱗を探す街歩きをしていただくようお勧めします。

アクセス
JR湖西線 堅田駅下車 徒歩約15分


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