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2019年10月4日金曜日

滋賀大津「義仲寺」は芭蕉の墓や若冲の天井絵など見処満載(その2)

前回の「滋賀大津「義仲寺」は芭蕉の墓や若冲の天井絵など見処満載(その1)」では、「義仲寺」の由緒や「木曽義仲」の生涯と「巴御前」、「松尾芭蕉」と「義仲寺」の関わりについてご紹介させていただきました。今回は「翁堂」「伊藤若冲」の天井絵や、「史料館」の展示品など、境内のその他の見処についてご紹介させていただきます。


2019年10月2日水曜日

滋賀大津「義仲寺」は芭蕉の墓や若冲の天井絵など見処満載(その1)

「義仲寺」は滋賀県大津市の膳所にあります。江戸時代の俳人「松尾芭蕉」は近江と琵琶湖と、そして「木曽義仲」をこよなく愛し、近江に来たときには「義仲」が眠る「義仲寺」を拠点にして活動していたと云います。


2019年10月1日火曜日

京都の「矢取地蔵尊」は東寺の空海(弘法大師)の命を救いました

「矢取地蔵尊」は、京都市南区唐橋羅城門町の「羅城門跡」の南にあって、「平安京」の逸話を今に伝えるとともに、お参りする人に「無病息災」「交通安全」など様々なご利益
を授けています。


2019年9月30日月曜日

滋賀県大津市衣川に謎の廃寺遺跡「衣川廃寺跡」があります

滋賀県大津市衣川(堅田の南)の静かな住宅街に「衣川廃寺跡」があります。7世紀に建立された寺院跡ですが、謎の廃寺となっています。
いったいここに寺院はどこまで築かれたのか、竣工できたのか、工事を途中で中断したのか、何故廃寺となったのか、これらの謎は現在も解明されていません。

「衣川廃寺」金堂基壇跡

2019年9月24日火曜日

京都の「真如堂」(その3 石薬師地蔵 元三大師堂など)

前回の京都の「真如堂」(その2 殺生石 鎌倉地蔵尊 京都・映画誕生の碑など)では、「真如堂」の境内の見どころスポットをご紹介させていただきました。
「真如堂」の境内は、歴史の舞台を垣間見ることができる見どころスポットがまだまだいっぱいあります。

真如堂総門

2019年9月23日月曜日

京都の「真如堂」(その2 殺生石 鎌倉地蔵尊 京都・映画誕生の碑など)

前回の 京都の「真如堂」(その1本堂と三重塔にかかる青もみじは圧倒的です) では、「真如堂」の青もみじについてご紹介させていただきました。
「真如堂」の境内は、歴史の舞台を垣間見ることができる見どころスポットがいっぱいあります。


2019年9月22日日曜日

京都の「真如堂」(その1本堂と三重塔にかかる青もみじは圧倒的です)

京都の左京区の吉田山の中腹の「真正極楽寺真如堂」は、鮮やかな青もみじのなかで圧倒的な空気に包まれています。
「真如堂」は見どころたっぷりで、じっくり堪能できる寺院です。

真如堂総門(別称赤門)

2019年9月2日月曜日

「千本ゑんま堂」であの世の入口の裁判官の閻魔法王が引導を

京都市上京区千本通閻魔前町の「歓喜院引接寺(通称千本えんま堂)」は死者に引導を渡す「閻魔法王」を御本尊としてお祀りしています。
あの世の入口に建つとされる「千本えんま堂」は、見るからに地獄の入口のような殺伐観がただよっています。

千本ゑんま堂入口

2019年8月30日金曜日

「おかめの物語」や「大根炊き」で知られる「千本釈迦堂」


「千本釈迦堂」は、真言宗智山派の寺院で、冬の風物詩「大根炊き」は毎年暮れのテレビニュースの常連となっています。また、建物の上棟の際に大黒柱に飾られるお多福の面を付けた御幣は、本寺の本堂にまつわる「おかめの物語」が起源となっています。
「千本釈迦堂」は京の六花街の一つ「上七軒」のすぐそばにあります。

千本釈迦堂参道

2019年8月29日木曜日

京都の本禅寺の本堂は全体を白漆喰で化粧して姫路城を思わせます

京都の法華宗陣門流総本山「本禅寺(ほんぜんじ)」は、京都市上京区の京都御苑の東の寺町通り沿いにあります。
本禅寺の鐘楼の梵鐘は、豊臣秀頼が片桐且元に命じて鋳造させ、大阪の生国魂(いくたま)大明神に献納したもので、徳川家康は「大坂冬の陣・夏の陣」の両戦で「陣鐘」(じんがね)として使用しましたが、後に大久保彦左衛門によって本禅寺に納められたものです。

本禅寺鐘楼

京都の清浄華院は慈覚大師が禁裏内道場として開いたのが始まりです

京都御所の東側、寺町通り沿いに「清浄華院(しょうじょうけいん)」はありました。清浄華院という名前は、「浄土に咲く蓮の華のように、清らかな修行ができる場所」という願いを込めて名付けられました。

清浄華院 総門

京都の蘆山寺には世界的な女流作家「紫式部」の邸宅跡がありました

京都の「蘆山寺(ろざんじ)」は京都市上京区京都御所東の寺町通り沿いにあります。

「蘆山寺」は「紫式部」が「源氏物語」などの世界的名作を執筆した地として知られています。また蘆山寺は「おみくじの創始者」として知られる「元三大師(慈恵大師良源)」によって草創されたことで知られています。

蘆山寺

2019年8月28日水曜日

西国三十三所巡り 京都の第十九番札所「革堂行願寺」

【西国三十三所巡り】を始めました。
2018年は西国三十三所が草創1300年ということなので、改めて三十三所全てを巡っていきたいと思います。
本当は第一番から順にお参りしたいところですが、お参りできるところから順次お参りして観音菩薩様のもとで慈悲の心に浸りたいと思います。



2019年8月25日日曜日

大津「真常寺」は大津の街中にひっそりと建っていました

「真常寺」は、滋賀県大津市末広町のお寺が密集している中で街並みに溶け込んで、ひっそりと佇んでいました。
門前には「日蓮上人」の立派な立像が立っています。

山門

2019年8月15日木曜日

「泉福寺」は叡山三千坊のひとつでしたが今は真宗大谷派のお寺です

「泉福寺」は、滋賀県大津市今堅田にあります。開山当時は天台宗のお寺として「七堂伽藍」を備えた大きなお寺だったそうで、「泉福寺」という寺号は天台宗宗祖「伝教大師最澄」によって名付けられたと伝えられているそうです。
「泉福寺」の山門の正面の琵琶湖岸には、木造灯台の「出島灯台」があります。

山門

2019年8月3日土曜日

【麒麟がくる】大津の「西教寺」は明智光秀の菩提寺(その3)最終

私が「西教寺」にお参りしたのは、4月2日でした。境内の桜の花がチラホラと咲き始めていました。
前回の【麒麟がくる】大津の「西教寺」は明智光秀の菩提寺(その2)では、西教寺お参り順路と「明智光秀と西教寺の関係」にも触れながらお参りしていきました。今回は「真盛上人」の御廟から「観音堂」などをご紹介させていただきます。


【麒麟がくる】大津の「西教寺」は明智光秀の菩提寺(その2)

天台真盛宗の宗祖真盛上人の教えに「無欲清浄・専勤念仏」があるそうです。「西教寺に来ると小鳥も樹林も子供たちも念仏を唱えずにいられない」と江戸時代の禅僧「沢庵和尚」も詠っています。参道の途中のにこやかなお地蔵さんが念仏を唱える姿に心が癒され、今日一日心穏やかに過ごせそうです。
【麒麟がくる】大津の「西教寺」は明智光秀の菩提寺(その1)では、西教寺お参り順路を途中までご案内させていただきました。今回はその続きと途中「明智光秀」と「西教寺」の関係にも触れながらお参りしていきたいと思います。

念仏小僧

2019年8月1日木曜日

【麒麟がくる】大津の「西教寺」は明智光秀の菩提寺(その1)

大津市坂本の「西教寺」「天台真盛宗の総本山」です。
令和2年(2020年)のNHKの大河ドラマは謎の多い戦国武将「明智光秀」を主人公にした「麒麟がくる」に決まりました。「明智光秀」は美濃に生まれ、滋賀や京都を舞台に時代を駆け抜けた武将です。「西教寺」は「明智光秀」が菩提寺としたお寺です。


2019年7月29日月曜日

堅田の「光徳寺」には「堅田源兵衛殉教の首」があります

「光徳寺」は大津市堅田にあり、「祥瑞寺」と「本福寺」に隣り合わせて建っています。
「蓮如上人」が山科本願寺を建立した際に、「如来大悲」への御恩に報いるため、息子「源兵衛」を斬首してその首を捧げ、更に自らの首をも捧げて殉教した漁師「源右衛門」「源兵衛」の父子がいました。「光徳寺」には、その息子「源兵衛」の墓があり、本堂には「源兵衛」の御首級(みしるし)の髑髏が安置・祀られています。


俳人松尾芭蕉は大津市堅田の「本福寺」を度々訪れました


「本福寺」は琵琶湖畔の滋賀県大津市堅田にあって、比叡山からの法難を逃れた「蓮如上人」が身を寄せ、同地に本願寺を置いて再興の拠点とした地です。
「本福寺」の11世住職は、松尾芭蕉の門人「千那」として多くの句を残し、芭蕉も「本福寺」を度々訪れています。