2019年8月1日木曜日

【麒麟がくる】大津の「西教寺」は明智光秀の菩提寺(その1)

大津市坂本の「西教寺」「天台真盛宗の総本山」です。
令和2年(2020年)のNHKの大河ドラマは謎の多い戦国武将「明智光秀」を主人公にした「麒麟がくる」に決まりました。「明智光秀」は美濃に生まれ、滋賀や京都を舞台に時代を駆け抜けた武将です。「西教寺」は「明智光秀」が菩提寺としたお寺です。


 「西教寺(さいきょうじ)」由緒 


寺 号 戒光山兼法勝西教寺(かいこうさんけんほっしょうさいきょうじ)

宗 旨 天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)総本山

御本尊 阿弥陀如来

開 創 飛鳥時代(伝承)

創 建 聖徳太子(伝承)

復 興 正中2年(1325年)

復 興 恵鎮(円観)上人

中 興 文明18年(1486年)

中 興 宗祖 真盛上人

真盛上人「宗祖大師殿」
「西教寺」は比叡山のお膝元の大津市の「坂本」にあり、全国に約400の末寺を有する大きな宗教集団の「天台真盛宗」の総本山です。

境内には、宿坊を持った六ケ所の「塔頭」や、世界中の門信徒が研修するための「研修道場(ユースホステル西教寺併設)」、養老院「社会福祉法人真盛園」などを擁しています。

そして、「西教寺」は令和2年のNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公「明智光秀」とその一族が菩提寺としていたお寺として、最近全国的に注目を集めています。

「明智光秀」を演じる人気役者「長谷川博己」が西教寺を訪れて、光秀一族の墓所にお参りしたことで、一層ドラマへの期待が高まっています。

「明智光秀」は、「本能寺の変」「織田信長」を討ち取ったことで逆賊として追われることとなり、本能寺の変からわずか13日後には命を奪われましたので、その短い治世から「3日天下」という言葉も生まれました。


 西教寺お参り順路(ご参考) 

それでは、途中謎の戦国武将「明智光秀」のことにも触れながらお参りしていくことにします。少し見づらいですが、境内図をご覧ください。(随時拡大して確認していただくと幸いです。)



 1.総門 

西教寺は坂本の比叡山の麓で琵琶湖から坂道を上がった高台にあり、総門は琵琶湖沿いの国道よりも標高の高い地点を山沿いに走る道路沿いにそびえています。下の総門の写真の左下には「明智光秀公と一族の菩提寺」とあります。

この「総門」は、天正年間「明智光秀」が自身の居城であった「坂本城」の城門を移築したと伝えられている城門です。高さは6.4m、幅は5.6mあります。

総門

 西教寺の護猿(ござる・まもりざる) 

比叡山は懐が深い山峡ですので野生のニホンザルが多く生息してることで知られています。ここ西教寺でも猿にまつわる逸話がありました。

明応2年(1493年)、坂本で馬借などが中心となった土一揆の際に、手が白の猿が西教寺が念仏の鉦を打って真盛上人の身代わりを勤めてお寺を救ったというものです。
真盛上人の御徳が鳥獣にも及んだことは尊いということで、それ以後身代わりの猿は護猿
と言ってあらゆる災難を守ってくれるそうです。

「縁がござる」、「福がござる」と云って親しまれ、猿は猿でも「五猿(客ござる)」と云って商売繁盛のお守りとされています。

同じ坂本の少し西の「日吉大社」では「まさる」は「勝る」に通じるとして、魔除けとしてお守りとされています。


 2.紅葉の参道と参道沿いの塔頭 

「勅使門」に向かって上り坂道の参道沿いには「宿坊」をもった六ケ所の「塔頭」が左右に分かれて並んでいます。
ただ、宿坊は宗門の直轄教区ごとに宿坊の割り当てが決まっているようで、塔頭の山門に教区の地区名が書かれています。

参道の両脇には紅葉の木が植えられていますので、新緑の「あおもみじ」と紅葉の時期の「もみじ」は最高に目を楽しませてくれることでしょう。


塔頭は、総門より左手下側より「禅智坊」「聞證坊」「禅林坊」、総門より右手下側より「禅明坊」「徳乗坊」「実成坊」の順に並んでいます。

「禅智坊」

禅智坊
禅智坊

「蓮心坊」

「禅智坊」「聞證坊」の間に「阿弥陀如来像」を安置した「蓮心坊」があります。





「聞證坊」

聞證坊
聞證坊
聞證坊の仏足石
聞證坊の宝珠丸(真盛上人の幼名)像

「禅林坊」

禅林坊
禅林坊
「禅明坊」

禅明坊

禅明坊
「徳乗坊」


徳乗坊
徳乗坊
「実成坊」

実成坊
実成坊

 3.宗祖大師殿 

参道の塔頭を過ぎて左側に「宗祖大師殿」の標識がみえます。これに従って階段を上がると「宗祖大師殿」の門に向かいます。



宗祖大師殿 南門
「宗祖大師殿」は宗祖圓戒国師慈攝大師「真盛上人」の木像をお祀りしているお堂です。
「真盛上人」は嘉吉3年(1443年)、伊勢の国一志の郡小倭大仰(現在の三重県一志郡一志町大字大仰)に出生し、14歳で出家しました。文明18年(1486年)西教寺へ入寺、堂塔と教法を再興、19歳から20年間比叡山中に籠り、日課六万辺の称名念仏を修め、朝廷、公家、武士、庶民へ持戒と念仏の布教を行い、戒称二門不断念仏の根本道場としました。

お堂
宗祖大師堂 東門
宗祖大師堂 東門

 4.手水舎 

中国風の手水舎です。

手水舎

次回 【麒麟がくる】大津の「西教寺」は明智光秀の菩提寺(その2) では「西教寺」本堂と「明智光秀」一族の墓所、「明智光秀」の生涯、「大本坊」などをご紹介していきます。

アクセス
京阪電鉄石坂線 坂本駅下車徒歩20分


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