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2019年7月21日日曜日

「一休和尚」が修行し、悟りを開いた大津市堅田の「祥瑞寺」

かつてアニメ「一休さん」で一躍人気を博した「一休和尚」は、後小松天皇の子として生まれましたが、数奇な運命から京都の禅寺に預けられ、やがて「宗純」という戒名を授けられました。
「宗純」は22歳の時、禅の道を究めようと禅の高僧「華叟宗雲」の教えを乞うため大津市堅田にある「祥瑞寺」の門を叩き、その後13年間修業の日々に明け暮れました。

祥瑞寺

2019年7月17日水曜日

恋に生きた平安中期の女流歌人「和泉式部」は「誠心院」で静かに往生しました

「誠心院」は観光客で賑わう、京都の新京極通りに面して建っています。
平安中期の女流歌人「和泉式部」は、娘に先立たれた悲しみから世の無常を憂い、京都の「誓願寺」で六字名号を唱えて女人往生を悟り、「誠心院」の初代住職となって「南無阿弥陀仏」を唱えながら浄土へと静かに往生しました。

誠心院本堂

2019年7月16日火曜日

京都市南区久世の「光福寺」は京の都の裏鬼門の守り神

「光福寺」は京都市南区久世上久世町の久世橋の西側にあって、平安京の古より京の都の西南の地にあたる裏鬼門を鎮護してきました。
「光福寺」は、鳥居があり、山門があり、拝殿があるという「神仏混交」の名残りを残すお寺です。


2019年7月12日金曜日

「敵は本能寺にあり」京都の本能寺には織田信長の廟があります

京都の法華宗本門流大本山本能寺」は、京都の寺町御池の角にあります。
「本能寺の変」は、本能寺にいた織田信長を明智光秀から襲撃され、自ら火を放ち自害した事件です。このときの本能寺は現在の位置ではなく、京都の四条西洞院にありました。

本能寺山門

2019年7月11日木曜日

京都三条大橋たもとの「瑞泉寺」は関白豊臣秀次公一族の悲劇の舞台

東海道五十三次の終点、京都三条大橋のたもとにひっそりと佇む「瑞泉寺」の山門に「斬到確境」の扁額が掲げられています。これは「漸く(ようやく)確かな悟りの境地に到った人々の霊位が眠る」という意味です。
「瑞泉寺」は秀吉から謀反の疑いで切腹させられた二代目関白「豊臣秀次」と、秀次一族根絶のために三条河原で公開処刑された秀次の妻や子供、妾など39名、ならびに賜死した家臣10名の霊を弔うため建立されました。

山門の扁額

2019年7月8日月曜日

京都裏寺町「宝蔵寺」は江戸中期の画家「伊藤若冲」の菩提寺

京都 裏寺町の「宝蔵寺」は、近年世界的に注目を集めている江戸時代中期の絵師伊藤若冲」の菩提寺で、若冲は父母の墓石と末弟の墓石を建立しています。
「伊藤若冲」は江戸時代中期に京都の錦小路の青物問屋の長男として生まれましたが、家業は弟に任せ自身は絵画を志し、やがて京都画壇を代表する絵師になりました。


2019年5月24日金曜日

京都長岡京の光明寺で法然上人は「お念仏」の教えを説きました

京都長岡京市粟生広谷の粟野「光明寺(こうみょうじ)」は、参道の新緑が眩しく本堂に着くまでに気持ちが清々しくなり、本堂の外陣に座り僧侶の読経を聞いているとさらに心は穏やかになりました。

光明寺は比叡山延暦寺を降りた円光大師法然上人が、日本で最初に念仏の産声を上げられ、浄土宗の法門を開かれた場所です。

光明寺総門

京都新京極の誓願寺は二大女流作家和泉式部と清少納言が往生

浄土宗西山深草派総本山「誓願寺(せいがんじ)」は京都市中京区の新京極通り六角東入ル(三条寺町)にあります。

誓願寺では平安時代に活躍した2人の女流作家が極楽往生しています。ひとりは「清少納言」、そしてもうひとりは「和泉式部」です。
世阿弥の作と伝えられている謡曲「誓願寺」は、和泉式部と一遍上人が主な役となって、誓願寺の縁起と霊験を物語るものです。

誓願寺

大津の北小松の徳勝寺は染井吉野としだれ桜の競演が圧巻

大津の「徳勝寺(とくしょうじ)」は、滋賀県大津市の最北部の北小松にあります。
境内には、中央に樹齢約150年の大しだれ桜が咲き、境内周辺はこれも樹齢しっかりの染井吉野が配置され、4月上旬は桜花の競演・咲き乱れが圧巻です。
境内石段手前の薬師堂の「薬師如来坐像」は、地元では「お薬師さん」と呼ばれ、篤く信仰されています。

徳勝寺

2019年5月23日木曜日

京都寺町の天性寺は悲劇のヒロイン中将姫を偲んで創建

京都の「天性寺(てんしょうじ)」は、京都市中京区の寺町商店街の三条通り上ル東側に、ひっそりと建っていました。寺の境内が正面の寺町通りより低位にあるのは、かつての鴨川の河原のなごりだということです。

一夜で「当麻曼荼羅」を織り上げたとされる「中将姫」の遺徳を偲んで創建されたと伝えられています。

天性寺


京都の矢田寺は寺町商店街の中にあって多くの提灯が出迎えます

京都の「矢田寺(やたでら)」は京都市中京区三条寺町上ルの寺町通りに面しており、三条寺町交番と常盤そばの間に挟まれています。

矢田寺の御本尊は、「代受苦地蔵(だいじゅくぢぞう)」と呼ばれる地蔵菩薩立像で、地獄の火焔の中に身を置いて、地獄で亡者を救っている地蔵の姿を彫刻して祀ったものと伝えられています。


矢田寺

大津の種徳禅寺は茅葺の本堂や運試しの壺など見どころ満載

大津の「種徳禅寺(しゅとくぜんじ)」は大津最北部の高島市との境、北小松の比良山のふもとにあって、春は桜、秋は紅葉、冬は雪で彩られ、茅葺の本堂や運試しの壺もあり、見どころ満載で四季を通じて楽しめるお寺です。


京都の清荒神 は台所の火の神様、安産、延命などご利益満載です

「御浄院(ごじょういん)」、通称「清荒神(きよしこうじん)」は、京都御所の東の「京の七口」の一つ「荒神口」にあります。
護浄院(清荒神)は、御本尊に「清三宝大荒神」を祀っています。
「清三宝大荒神」は、日本特有の神仏習合の流れをくむ信仰対象の一つで、「仏・法・僧」の三宝を守護し、不浄を厭離(おんり)する仏神です。不浄を忌避することから、「火の神」としてあがめられ、「台所のかまどの神様」として地域の根強い信仰を受けています。
また、台所に立つのは主に女性ということから、「安産・火難除け」としてもご利益があるとされています。

御浄院(清荒神)

2019年5月22日水曜日

大津の大津別院は徳川家康が上洛の際の宿泊場所でした

大津の「大津別院(おおつべついん)」は滋賀県大津市中央にあります。

大津別院は、真宗大谷派東本願寺の別院です。織田信長と石山本願寺で戦った浄土真宗の僧教如が、関ヶ原の合戦の際、徳川家康から敷地を拝領し創建したのが大津別院で、徳川家康が上洛した際には宿泊所として使っていたと言われています。

大津別院山門


安藤広重は近江八景の一つ「堅田の落雁」で「浮御堂」を描きました

大津の海門山満月寺「浮御堂(うきみどう)」は滋賀県大津市堅田の琵琶後岸にあります。

「浮御堂」は端正で質素な姿をびわ湖の湖面に浮かべ佇んでいました。
その端正な姿の後ろには、びわ湖大橋や対岸の商業施設「ピエリ守山」が見えます。

浮御堂

2019年5月21日火曜日

京都の「大福寺」は聖徳太子が開山・開基し「大福帳」です

京都の「大福寺(だいふくじ)」は京都市中京区麩屋町通り二条上ルにあります。

大福寺は、聖徳太子が開山・開基したとされ、本尊菩提薬師如来像は聖徳太子の自刻です。大福帳の名前の由来にもなった由緒のある寺院です。

聖徳太子

鎌倉大仏は胎内(体内)巡りができます。(大異山高徳院清浄泉)

鎌倉の鎌倉大仏殿「高徳院(こうとくいん)」は江ノ電の長谷駅の北方にあります。

鎌倉大仏は、その胎内(体内)に入りことができます。

鎌倉大仏

大津の長安寺には小野小町の供養塔があります

大津の「長安寺(ちょうあんじ)」は滋賀県大津市逢坂にあります。

長安寺は、時宗のお寺です。小野小町の供養塔や重要文化財の牛塔があります。時宗は、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派です。総本山は、神奈川県藤沢市の清浄光寺(遊行寺)です。開祖は一遍上人です。

長安寺への階段

2019年5月20日月曜日