2019年5月24日金曜日

京都長岡京の光明寺で法然上人は「お念仏」の教えを説きました

京都長岡京市粟生広谷の粟野「光明寺(こうみょうじ)」は、参道の新緑が眩しく本堂に着くまでに気持ちが清々しくなり、本堂の外陣に座り僧侶の読経を聞いているとさらに心は穏やかになりました。

光明寺は比叡山延暦寺を降りた円光大師法然上人が、日本で最初に念仏の産声を上げられ、浄土宗の法門を開かれた場所です。

光明寺総門

 誓願寺 由緒 

寺 号 報国山 光明寺(こうみょうじ)

宗 旨 西山浄土宗 総本山 

御本尊 阿弥陀如来

創 建 建久9年(1198年)

開 山 円光大師法然上人

ご利益 極楽往生、現生安穏

所在地 京都府長岡京市粟生西条内26-1

京都府長岡京市粟生広谷のぽんぽん山を望む西山のふもとに光明寺はあります。表参道から総門に向かうと新緑の鮮やかさが際立っていますが、御影堂(本堂)の姿は見えません。

4月19日にお参りさせていただきましたが、天気にも恵まれ、ゆるやかな参道の両側から、紅葉の葉が新緑に萌えてまばゆいばかりでした。

表参道から総門を望みます

 法然上人と西山浄土宗  Wikipediaより引用

幼くして才能に恵まれていた法然は、当時の仏教の最高学府の比叡山で修行を続けていましたが、やがて比叡山延暦寺を降りて京都黒谷の比叡山別所で修行を続けました。しかし法然のその才能は留まることを知らず、18歳にして「法然坊源空」の僧名を得るまでになりました。

法然は「智慧第一の法然坊」と称され、保元元年(1156年)24歳の法然は、京都黒谷を出ましたが、「衆生救済」について深く考えるところとなり、醍醐寺から奈良に遊学して、高名な学僧らと談義しました。

法然は奈良への遊学の途中、当地粟生野(光明寺が創建された地)の里の村役だった「高橋茂右衛門」宅に一夜の宿を借りました。

茂右衛門夫妻は法然の真剣な求法の気持ちと、広く大衆が救われる道を求めての旅であることを聞いて、「まことの教えを見出されましたならば、先ず最初に私どもにその尊いみ教えをお説き下さいませ」と法然にお願いしました。

承安5年(1175年)、浄土宗を開いた法然は、20年前の約束を守ろうと、この地で初めて念仏の法門を説きました。こうして法然が初めて「お念仏」の教えを説いた地であることから、この地は「浄土門根元地」といわれています。

法然を慕い帰依した弟子の連生法師(熊谷次郎直実)が、建久9年(1198年)に法然ゆかりの当地に「念仏三昧堂」を建立したのが、光明寺の直接の始まりとなりました。後の「嘉禄の法難」※の際には、ここで法然の遺骸を荼毘に付し、廟堂が建てられました。法然の石棺から、まばゆい光明が発せられたと云います。

その後、法然の弟子の西山上人証空は、西山義の教えを広めていき、「浄土宗西山派」が成立しました。

明治9年(1876年)には光明寺は浄土宗西山派の西本山になりました。ところが大正8年(1919年)に浄土宗西山派はそれぞれの考え方の違いから、浄土宗西山光明寺派(戦後に西山浄土宗となりました)、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派の三つに分裂しました。

※嘉禄の法難とは、法然の死後天台宗の延暦寺宗徒が浄土宗と専修念仏を弾圧した事件


御影堂の外陣に上がりますと、丁度納骨の法要を営んでおられるところで、ありがたい読経を拝聴し、その後の光明寺の歴史や法然上人の法話も漏れ聞くことができ、しばらく無念夢想の境地にひたらせていただきました。

なお、堂内は写真撮影は禁止されています。

本堂

法然上人

高橋茂右衛門の屋敷跡の碑

円光大師法然上人の石棺

円光大師法然上人の石棺脇の金色の仏像

円光大師法然上人の火葬(荼毘)跡

 光明寺の由緒  長岡京市教育委員会の説明を引用

光明寺は寺伝によれば、建久9年(1198年)に連生法師(熊谷次郎直実)により創立され、法然上人を開山第一世としています。境内は広く、洛西一の伽藍を誇り、主要な建物は山内に点在して廊でつながれています。

応仁の乱、元亀の乱、天正の乱の兵火にあい、江戸時代には享保19年(1734年)の火災により焼失し、大半の建物はそれ以降の建立です。

「総門」をくぐり、美しい石段の参道を登ると、正面に壮大な「御影堂」が、その右奥には「阿弥陀堂」があります。御影堂は宝暦3年(1753年)の再建で、派手な装飾はありませんが、全体的構成の精美性を意匠の主眼としたものです。

「阿弥陀堂」は寛政11年(1799年)の建立で、本堂より少し華やかな造りになっています。

光明寺は洛西第三十三番霊場の七番目の札所で、観音堂は参道を上がってすぐ右手にあります。ここには「十一面千手観音」が祀ってありましたが、観音像が重要文化財に指定されてからは「京都国立博物館」に寄託されています。

御影堂の後方にある「御廟」は明暦2年(1656年)の再建で禅宗様を基調とした華麗な造りです。軒下周りの組物には多くの彫刻が施され、廟内の板壁は飛天や雲、蓮の花などが極彩色で描かれています。その前にある「拝殿」は山内では最も古い承応2年(1653年)の建築です。

御影堂の左下には元文元年(1736年)の「釈迦堂」「勅使門」があり、庫裏、講堂へと続きます。天保4年(1833年)に建立された「講堂」は食堂とともに浄土宗寺院でも檀林(仏教の学問所)に関する類例の少ない遺構群です。

なお、一般拝観で内部まで入れるのは御影堂のみで、御廟や拝殿は外観も見ることができません。
阿弥陀堂

鐘楼

観音堂

手水舎

 まばゆい新緑と桜とツツジ 

光明寺の表参道の新緑はまばゆいばかりです。この新緑は美しくゆるやかな石段の参道の終点まで続きます。なお、この新緑の木々は秋になると鮮やかな紅葉に変わり、参拝者の目を楽しませることになります。

 表参道の新緑

 表参道の新緑

表参道の新緑

表参道の新緑(正面奥が御影堂)

境内の所々に八重の桜が花を咲かせています。また御影堂から寺務所へ通じる急な下り階段にはツツジの花が咲き始めていました。

鐘楼横の八重桜 

 阿弥陀堂の前の八重桜

 事務所へ通じる階段のツツジ

 竹の子料理のいっぷく亭 

表参道の左側に奥まったところに、竹の子料理を食べさせてくれる「いっぷく亭」があります。

いっぷく亭

アクセス
JR京都線 長岡京駅下車 阪急バスにて「旭ケ丘バス停」下車徒歩すぐ
阪急京都線 長岡天神駅下車 阪急バスにて「旭ケ丘バス停」下車徒歩すぐ
光明寺には駐車場がありませんので、公共交通機関でお出かけください。

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