2019年5月21日火曜日

鎌倉大仏は胎内(体内)巡りができます。(大異山高徳院清浄泉)

鎌倉の鎌倉大仏殿「高徳院(こうとくいん)」は江ノ電の長谷駅の北方にあります。

鎌倉大仏は、その胎内(体内)に入りことができます。

鎌倉大仏

参道の標石

 仁王門 

山号「大異山」を記す扁額が掲げられた「仁王門」は、18世紀初頭に内部の仁王像とともに他所より移されたとされています。
鎌倉大仏殿の寺院の詳名は、「大異山高徳院清浄泉寺」で法然上人を開祖とする浄土宗の寺院です。
法然上人は、西方極楽浄土の教主、阿弥陀如来に帰依されました。

仁王門

仁王像(左右一対ですが片方はピンボケでしたので載せていません)

 手水舎 

手水舎(外国人も清めています)
 鎌倉大仏 

鎌倉大仏(阿弥陀如来坐像)

 国宝 鎌倉大仏 因由(いんゆ)抜粋 


この大仏は阿弥陀如来です。源頼朝の侍女であったといわれる稲多野局が発起し、僧浄光が勧進(資金集め)して造りました。零細な民間の金銭を集積して成ったもので、国家や王侯が資金を出して造ったものではありません。



始めは木造で暦仁元年(1238年)に着工し6年間で完成しましたが、宝治元年(1247年)台風で倒れたため、再び資金を集め建長4年(1252年)に至って現在の青銅の像を鋳造し、大仏殿を造って安置しました。



原型作者は不明ですが、鋳工として大野五郎右エ門や、丹治久友の名が伝えられます。



大仏殿は建武元年(1334年)と康安2年(1369年)に台風で倒れ、その都度復興しましたが、明応7年(1498年)の海潮による流失以来は復興せず、霊像として知られるに至りました。



大正12年(1923年)の大震災では台座が崩れ、仏像が前に傾きましたが、倒れませんでした。大正14年(1925年)台座を補強し、仏像を台座に固定する耐震構造の修復がなされました。昭和35年36年(1960~1961年)の補強では、前傾している頭部を支える頸部の力を、強化プラスチックで補強し、大正修理でなされた耐震構造を改め、大地震の際は台座と仏体が離れる免振構造が施されました。この強化プラスチックの利用と台座の免震構造は、日本の文化財としてき最初のものです。


総高(台座含む)13.35m
青銅仏身高   11.33m
仏体重量    121トン
面長      2.35m
眼長      1.00m

ご利益は求めず、阿弥陀様のご慈悲にひたりましょう。



大仏様と蓮華

端正な顔立ち(イケメンです)


慈悲深い表情
おや、大仏様の背中に窓があります

 胎内巡り 

大仏様の正面から右手に、大仏様の胎内(体内)巡りの入口があります。別途の拝観料を支払って台座の下部から階段で上がると胎内に至ります。先程見えた大仏様の背中の窓は
明り取りでした。各部の部材を繋ぎ合わせた鋳工の苦労と、その後の修理・修復の苦労が
分かり、大仏様のご慈悲をより一層感じられます。

胎内巡りは拝観料20円です。(大仏様の入口で支払います)

大仏様の首の部分(強化プラスチックで補強されています)

大正時代の修理(台座の耐震補強)

構造の説明
 観月堂 

大仏様の北側通路を出て散策路にあります。

15世紀頃、漢陽(現在の韓国ソウル)の王宮内に建築されたと伝えられる建物で、大正13年(1924年)に「山一合資会社(後の山一証券)」の社長杉野喜精によって、東京目黒の私宅から移築されました。現在江戸時代後期の作とされる観音菩薩立像が安置されています。

鎌倉観音霊場23番札所となっています。

観音堂

大藁草履(常陸太田市の子供会から奉納されました)

御朱印

拝観料 大人200円(小学生150円、幼児・未就学児は無料)

アクセス
江ノ電長谷駅から北へ向かって徒歩約7分



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