2020年7月14日火曜日

【麒麟がくる】「明智左馬之助湖水渡碑」は大津市打出浜のなぎさ通り沿いにひっそりと立っています

名神高速道路を大津ICで降りて琵琶湖に向かって走ると、突き当たったところに「明智左馬之助湖水渡碑」と刻まれた石標が立っています。本能寺の変で「織田信長」を討った「明智光秀」は、直後の「山崎の合戦」で「豊臣秀吉」に敗れ、坂本城への敗走中に命を落としました。この知らせを安土城で聞いた「光秀」の重臣「明智左馬之助(秀満)」は、坂本城を目指し出陣しましたが、大津のこの地に来て「秀吉」の軍勢に行く手を阻まれました。「左馬之助」は大胆にも馬に騎乗したまま琵琶湖の乗り入れ、琵琶湖を渡って坂本城に向かいました。この地は「左馬之助」の湖水渡りの伝説の地です。

明智左馬之助湖水渡碑

2020年7月12日日曜日

【裁判傍聴記】無免許でも仕事の道具を運ぶのに車が要りますし、昼の弁当食べるのにも車がほしいので・・・

被告人は、未だかつて車の運転免許を取ったことがありません。車の運転は他人が運転するのを見て、みようみまねで覚えました。とある日の朝、被告人は自宅で酒を飲んだ後、車のオイル交換をしようと家を出て運転していました。途中でパチンコをしようと思いたち、進路を変えたとたんに民家の壁に衝突しました。被告人はその場から逃げてコンビニに入りましたが、駐車場でまたも他人の車に衝突させ、被害者の通報で駆け付けた警察官に、「酒気帯び運転」「無免許運転」の容疑で現行犯逮捕されました。

運転免許証 - Wikipedia
資料画像(by Wikipedia)

2020年7月10日金曜日

滋賀県大津市中庄の「篠津神社」は江戸時代には「膳所藩」の歴代藩主の崇敬が長く続きました

滋賀県大津市中庄の住宅街の中に「篠津神社」は鎮座しています。古くには「大梵天王」と号して、「天王社」または「天王宮」と呼ばれ「産土神」として庶民の信仰を集めていました。江戸時代に入ると、「徳川家康」の指示で設立された「膳所藩」の歴代藩主の崇敬は篤く、特に最も長く13代220年にわたって藩主を務めた本多家は、社領の寄進や本殿の造営、社殿の改修も行うなど、「篠津神社」は手厚く護られてきました。

篠津神社 本殿

2020年7月9日木曜日

【裁判傍聴記】包丁を持っていることを言えば刑務所に入れてもらえると思い自首しました

被告人は、以前刑務所から出所した際に世話になった知人に会うため、連絡もせずに滋賀に来ました。JRの最寄りの駅で降りて知人を探しているうちに、電車内で飲んだ酒がきいたのか気分が悪くなり、自ら119番通報しました。救急車で病院に搬送され入院した翌朝、警備員に「自分は包丁を持っている。」と自首して110番通報するよう頼み、駆け付けた警官に「銃刀法違反」の容疑で現行犯逮捕されました。被告人は、刑務所に入りたくなって自首したと供述しています。

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資料画像(by Pixabay)

2020年7月6日月曜日

「膳所城」は東海道・中山道・北国道の三街道と琵琶湖の湖上交通を制するため、徳川家康の命で築城されました

滋賀県大津市膳所地先の琵琶湖にせり出した埼に「膳所城」は築かれていました。「膳所城」は、徳川家康が関ヶ原の合戦で勝利した直後に、京の背後の守りと、未だ豊臣秀頼が居城する大阪城への備えの城として、藤堂高虎に設計させ、譜代大名に命じて築城工事を施工させました。城主兼膳所藩藩主には、江戸幕府がサラリーマン大名を任命し、当時の交通の重要拠点であった大津を通過する三街道と、琵琶湖の湖上交通の警護にあたらせました。

ファイル:伊勢さんぐうめいしょずえ.pngのZeze城前の船
膳所城と琵琶湖の渡し舟(by Wikimedia Commons)

2020年7月3日金曜日

滋賀県大津市の「西武大津店」が44年の歴史に幕を閉じて令和2年8月31日に閉店します

「西武大津店」は、滋賀県大津市におの浜のびわこ大博覧会跡地に建てられて、昭和51年6月オープンし、多くの「西武大津ファン」に支えられながら、44年間営業を続けてきましたが、残念ながら令和2年(2020年)8月31日をもって、多くのファンに惜しまれつつ閉店することになりました。現在(7月2日付)「サンクスセール」と写真展「西武大津店44年のあゆみ展」を開催中ですので、足を運んでみてはいかがでしょうか。

西武大津サンクスセール

2020年6月30日火曜日

「祇園祭」は山鉾巡幸は中止されましたが、「長刀鉾」の粽(ちまき)はネット注文で届きました

日本三大祭のひとつで京都の夏の風物詩「祇園祭」は、毎年多くの観光客で賑わいます。特に祭のクライマックスの「山鉾巡行」では、3万人近い観光客が、華やかな装飾の山鉾の巡行に酔いしれます。ところが、今年2020年は新型コロナウィルスの影響で、山鉾巡行他の祭事が中止となりました。祇園祭に付きものの厄病・災難除けの「粽(ちまき)」も心配していましたが、ネット販売で購入することが出来ることとなり、過日家に届きました。

届いた「長刀鉾の粽」

2020年6月29日月曜日

滋賀県大津市の「膳所神社」は天智天皇が近江大津京に遷都した際に御厨として定めた地です

滋賀県大津市に「膳所」という地名があります。この地は、天智天皇が「近江大津京」を開いた際に、天皇に琵琶湖の魚介類を献上するための「御厨」として定めた場所です。当地は「浜田」という地名であったことから「陪膳(おもの)の浜田」と呼ばれるようになり、やがて「膳所」と呼ばれるようになりました。後に大和国から「豊受比売命(御食津神)」の分霊を勧請して、「大膳職の御厨神」としたのが「膳所神社」の始まりとされています。

膳所神社表門(重要文化財)

2020年6月26日金曜日

滋賀県大津市穴太の「高穴穂神社」は神話に描かれた古代の都が営まれていた地に鎮座しています

滋賀県大津市穴太は「古事記」の記述によりますと、第12代「景行天皇」が古代の都「高穴穂宮」を造営し、遷都した地とされており、「高穴穂神社(たかあなほじんじゃ)」は「景行天皇」が皇居としていた地に、鎮座したとされています。更にこの地は、飛鳥時代には渡来人が多く住み付いた地でもあったということで、現在は静かな住宅地のこの地が、かつては激動の表舞台にあったということに、歴史のロマンを感じざるを得ません。

「高穴穂宮址」周囲の「穴太の森」

2020年6月23日火曜日

【裁判傍聴記】近所の住民とのいざこざでムシャクシャしていたので目についた人を殴りました

被告人は回転ずしの代金が高いとクレームをつけて店を出た後、たまたま用事で回転ずしの店を訪ねてきた近くの農家の高齢者を殴りました。被告人は、最近家の近所の住民といざこざがあってムシャクシャしていて、酒のいきおいもあって目についた人を殴ったと供述しています。