2019年10月6日日曜日

滋賀県大津市小野の「上品寺」は「小野篁」が開基です

「上品寺(じようぼんじ)は、平安時代のエリート貴族で、神通力を駆使して昼間は朝廷勤め、夜には冥府で閻魔大王の裁判の補助をしていたと云われている「小野篁(たかむら)が開基となって創建しました。


2019年10月5日土曜日

滋賀大津「義仲寺」は芭蕉の墓や若冲の天井絵など見処満載(その3)

前回の「滋賀大津「義仲寺」は芭蕉の墓や若冲の天井絵など見処満載(その2)」では、「義仲寺」境内の「木曽義仲の墓」「松尾芭蕉の墓」、「翁堂」「伊藤若冲」の天井絵や、「史料館」の展示品など、境内のその他の見処についてご紹介しました。
今回は、「巴御前」を供養する「巴塚」「巴地蔵堂」、芭蕉に関する史料を収蔵する「粟津文庫」、境内の「句碑」などを紹介します。

「義仲寺」山門内 井戸と芭蕉


2019年10月4日金曜日

滋賀大津「義仲寺」は芭蕉の墓や若冲の天井絵など見処満載(その2)

前回の「滋賀大津「義仲寺」は芭蕉の墓や若冲の天井絵など見処満載(その1)」では、「義仲寺」の由緒や「木曽義仲」の生涯と「巴御前」、「松尾芭蕉」と「義仲寺」の関わりについてご紹介させていただきました。今回は「翁堂」「伊藤若冲」の天井絵や、「史料館」の展示品など、境内のその他の見処についてご紹介させていただきます。


2019年10月2日水曜日

滋賀大津「義仲寺」は芭蕉の墓や若冲の天井絵など見処満載(その1)

「義仲寺」は滋賀県大津市の膳所にあります。江戸時代の俳人「松尾芭蕉」は近江と琵琶湖と、そして「木曽義仲」をこよなく愛し、近江に来たときには「義仲」が眠る「義仲寺」を拠点にして活動していたと云います。


2019年10月1日火曜日

京都の「矢取地蔵尊」は東寺の空海(弘法大師)の命を救いました

「矢取地蔵尊」は、京都市南区唐橋羅城門町の「羅城門跡」の南にあって、「平安京」の逸話を今に伝えるとともに、お参りする人に「無病息災」「交通安全」など様々なご利益
を授けています。


2019年9月30日月曜日

滋賀県大津市衣川に謎の廃寺遺跡「衣川廃寺跡」があります

滋賀県大津市衣川(堅田の南)の静かな住宅街に「衣川廃寺跡」があります。7世紀に建立された寺院跡ですが、謎の廃寺となっています。
いったいここに寺院はどこまで築かれたのか、竣工できたのか、工事を途中で中断したのか、何故廃寺となったのか、これらの謎は現在も解明されていません。

「衣川廃寺」金堂基壇跡

2019年9月29日日曜日

大津市の「天皇神社」は京都の八坂神社の「牛頭天王」を勧請しました

滋賀県大津市和邇にある「天皇神社」は、京都の「感神院祇園社(現八坂神社)」の御祭神「牛頭天王」を勧請して創建されました。社名の「天皇神社」は「天王」を読み替えたものということは明白です。
天皇神社鳥居

2019年9月28日土曜日

閉校された母校「洛陽工業高校」が解体され敷地内を埋蔵文化財調査中でした

私の母校「京都市立洛陽工業高等学校」は、平成30年3月末を以て閉校しました。先日別の要件で近くに行きましたので、母校の姿を見ようと立ち寄りますと、我が母校は既に解体され、敷地内で埋蔵文化財調査を実施していました。既に平安京の遺跡「羅城跡」が見つかっているそうで、他にも遺跡が出てくることでしょう。


2019年9月27日金曜日

京都の「羅城門跡」「西寺跡」「東寺」は平安京の南の玄関口

平安京は延暦13年(794年)に長岡京から遷都され、明治2年(1869年)に江戸(東京)に遷都されるまで、1075年にわたって日本の首都とされてきました。
「羅城門」は平安京の中央大通りの朱雀大路の南の端に建てられた、都の表玄関にあたる大門です。また「西寺」は平安京の南の端に現存する「東寺」と羅城門を挟んで、東西で対に並んで建っていた仏教寺院でした。

羅城門跡

2019年9月25日水曜日

【裁判傍聴記】(続報)消防の119番に偽計電話・偽計業務妨害

以前に投稿しました裁判の続報です。被告人は消防本部の通信指令室の119番に対して、10ケ月の間に239回も携帯電話で「無言電話」や「ワン切り電話」を繰り返して消防本部の業務を妨害したというものです。
70代後半の男性被告人は、半年以上も拘置所に拘留されていますが、今回の法廷でも元気に自論を展開して無罪を主張していました。
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資料写真(Pixabay)