2019年5月23日木曜日

京都の城南宮の神様は四方・四角・上下の計「十方円満のご利益」

「城南宮(じょうなんぐう)」は京都市伏見区鳥羽離宮町にあります。

城南宮は「方除け」の神様です。
日々の暮らしの中では、悪い方向に行くことや家の間取りが悪いということがあります。方位の障りや家相の心配が無いように、祈願することを方除けといい、城南宮には全国各地から参拝者があります。
「方除けの神様」ということで、家や建物を新築する際に施主が御祈祷を受けたり、大黒柱にお祀りする上棟御札を授かるためにお参りします。

また、建設会社や工務店が工事の安全と会社繁栄を祈願して、あるいは旅行会社などが旅先の安全を祈願して月参りに訪れています。

城南宮 朱の鳥居

 城南宮 由緒 

御祭神

国常立尊(くにのとこたちのみこと)
八千矛神(やちほこのかみ)またの名を大国主命(おおくにぬしのみこと)
息長帯日売尊(おきながたらしひめのみこと)またの名を神功皇后(じんぐうこうごう)

例祭日

7月20日(お涼み神楽)

御神紋

太陽と月と星を組み合わせた「三光の御神紋」

創建年代は不詳ですが、鳥羽のこの地にあった「真幡寸神社(まはたきじんじゃ)」に、神功皇后の新羅出兵の際に船上に立てた旗に神功皇后・八千矛神(大国主命)の神霊を添えて奉斎したのに始まると伝えられています。
その後、平安遷都の際に国の安泰と都の守護を願って、「真幡寸神社」に国常立尊を併祀
され、城(平安京)の南にあることから「城南大神」と崇めたことが城南宮の創建と伝えられ、城南宮とは平安城の南に鎮まるお宮の意味です。

城南宮は

・国土の守護神 
 国常立尊
・武勇に秀でた経営・医薬の神 
 八千矛神(大国主命)
・安産と子育ての守り神 
 神功皇后

を始めとする神々をお祀りしています。

本殿・前殿・向拝

本殿

拝殿

摂社「真幡寸神社」

城南宮は平安時代後期、白河上皇や鳥羽上皇によって、城南宮を取り囲むように城南離宮(鳥羽離宮)が造営されて院政の拠点になると、城南宮は離宮の鎮守として一層崇められ、9月の城南祭では神輿行列に加え、流鏑馬や競馬(くらべうま)も行われ、大いに賑わいました。
2平方キロメートルにも及ぶ離宮は政治・文化の中心となり、歌会や雅やかな舟遊びも行われ、王朝文化が花開きました。後鳥羽上皇は日照りの時、雨が降り天下泰平であるように城南宮に祈り

「つたえ来る 秋の山辺の しめの内に 祈るかひある あめの下かな」

と詠まれました。

また、城南離宮の御殿し、熊野詣の精進所や方違(かたたがえ)の宿所にも充てられ、上皇や貴族は方位の災厄から無事であるようにと、熊野詣に出掛ける際は、離宮に7日ほど滞在し、身を清め、旅の無事を祈って出掛けました。
ここに「方除の大社」と仰がれる城南宮の方除の信仰を見ることができます。


 方除けとは 

日々の暮らしの中では、悪い方向に行くことや家の間取りが悪いということがあります。方位の障りや家相の心配が無いように、祈願することを方除けといい、城南宮には全国各地から参拝者があります。
「方除けの神様」ということで、家や建物を新築する際に施主が御祈祷を受けたり、大黒柱にお祀りする上棟御札を授かるためにお参りします。

 人間関係円満のご祈願 

城南宮の神様には、四方・四角(よすみ)の八方に加えて、上下を合わせた十の方向をお守りくださる「十方円満のご利益」があります。人間関係の円満も願ってお参りすると良いですよ。

承久3年(1221年)、後鳥羽上皇は朝権を回復すべく城南流鏑馬の武者揃えと称して兵を募られ、鎌倉幕府との間に承久の乱が起こりました。江戸時代には霊元法皇や和宮親子(ちかこ)親王の方除の御祈祷を奉仕し、孝明天皇には正五九月に御祈祷を修められ、この習わしは「正五九参り」として今も続いています。

むすび殿

神楽殿

拝殿

授与所

神苑より本殿を望む

 鳥羽伏見の戦い 

ここ城南宮から、明治維新を決定づける戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見の戦いが始まりました。

慶応3年(1867年)12月9日の王政復古の大号令で幕府は廃され、前将軍徳川慶喜は12日に京都の二条城から大坂に退きました。しかし、新政府の側の薩摩藩の行為に憤激し、慶応4年1月2日、旧幕府兵および会津・桑名両藩の兵からなる大軍が大坂から京に向かいました。

これに対し朝廷では、薩摩・長州・土佐等諸藩の兵を鳥羽と伏見に繰り出し、鳥羽では城南宮から鳥羽街道の小枝橋に至る参道に、伏見では御香宮神社付近に陣を構えました。

翌1月3日、都を目指し鳥羽街道を北上する旧幕府軍は、ここ城南宮かに南南西500mの地点に達し、入京を阻止する薩摩郡と長時間対峙しました。夕闇が迫り強行突破の構えを見せるや、城南宮の参道に置かれた薩摩郡の大砲が轟き、続いて伏見でも両軍が衝突、激戦となりました。

4日も下鳥羽から伏見にかけて戦闘が続きましたが、仁和寺宮嘉彰親王が錦の御旗を奉じて御所を出陣との報が伝わり、官軍となった新政府軍の士気は大いに高まりました。

5日、錦の御旗は鳥羽街道を南へ進み、旧幕府軍は淀・八幡へ退却、新政府軍の勝利が決定的となりました。こうして新しい時代が始まりました。



 摂 社 

真幡寸神社(まはたきじんじゃ)

御祭神 真幡寸大神 応神天皇


芹川天満宮

御祭神 菅原道真公


三照宮社(さんしょうぐうしゃ)

御祭神 天照大御神



「方除けの神様」には「十方円満の御利益」があり、方除けとともに、家庭円満と人間関係の円満にもご利益があります。

「京都の城南宮の神苑では梅の花と椿の花が咲き乱れていました」では城南宮神苑「楽水苑」に咲き乱れる「しだれ梅」と「椿」を紹介したいます。

是非、城南宮にお参りにお出かけください。


引用:城南宮ホームページ、「城南宮 源氏物語 花の庭」入場リーフレット

アクセス
京都地下鉄・近鉄電車京都線 竹田駅下車 西に向かって徒歩15分
名神高速京都南IC出口から南へ100m
無料駐車場 200台(境内の表側と裏側、南側にもあります)


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