近江神宮は天智天皇を御祭神としてお祀りしていますが、天智天皇は「歌かるたの祖神」として、また「漏刻(水時計)」を造られ時報も始められました。そして何より「大化の改新」を断行して近代国家の基礎を確立し、近江大津宮に遷都され、この都に即位されました。
漏刻 |
前回「ちはやふるの舞台となった大津の近江神宮はかるたの聖地です 前編」では、近江神宮の「かるたの聖地」という側面についてご紹介しました。
今回後編では「時の神様」の側面をご紹介させていただきます。
日本書記には、以下のように伝えられています。
天智天皇の御代「漏刻(ときのきざみ)を新台に置きて初めて候時(とき)を打ち鐘鼓をならす。初めて漏刻を用う。この漏刻は天皇の皇太子にまします時に始めてみずからつくりたまふ所なり」
天智天皇は、ここ近江大津宮の地で日本で初めて「漏刻(水時計)」をつくり、これを用いて、鐘鼓の音で人々に時を告げて、時間の存在を知らしめたのです。
近江神宮楼門
天智天皇は飛鳥時代の大化の改新の後、天智天皇6年(667年)に近江国滋賀郡に都を遷し、近江大津宮と名付け正式に即位しました。
天智天皇は、天智天皇10年(671年)4月25日に、「漏刻(水時計)」をつくり、近江大津宮の新台において鐘鼓を打って時報を開始されました。
大正9年に制定された「時の記念日」は、天智天皇のご神徳を後世に伝え、正しい時間の観念の普及を目指す目的で、天智天皇が「漏刻」を設置された4月25日(太陰暦)を太陽暦に換算して6月10日と定められました。
6月10日の「時の記念日」には、近江神宮において「漏刻祭」が盛大に執り行われています。
下の写真は、近江神宮に設置されている、日本最初の時計「漏刻(水時計)」のレプリカです。
漏 刻
漏刻(水時計)
原理は、4段の水槽の上段から順に下段まで水が落ちて行き、最下段の水槽に水がたまっていくにつれて、浮かせてある矢が徐々に浮かび上がり、矢に刻まれた目盛で時刻を知るようにしたものです。
このレプリカでは、1目盛が約10分間になるよう刻まれています。
水槽を4段にすることにより、水槽の中の水量によって水圧が変わり流量も変わるのを防ぐことができます。
当時の水はそれほどきれいではなく不純物でつまったり、冬季の凍結などで運用はむずかしいものであったらしく、夜間のための灯明の設置したり、監視役を配置したり、正確を期すために「漏刻」を複数設置して比較したり、日時計と比較したりと、運用に工夫をこらしていたようです。
「漏刻」のレプリカは昭和39年に日本とスイスの修交を記念し時計の「オメガ」から寄贈されたものです。
「時の神様」近江神宮には、「漏刻」の他にも、古代よりの時を測る仕組みなどが展示されています。
古代の火時計
古代火時計
この火時計は約4000年前、中国で主に夜間の時間を測るために、用いられたもので、龍の背に等間隔に計14個の銅球が吊り下げられており、糸の下を燃え進む線香の火が糸を焼き切り、球が落下し、下に設けられたドラが鳴って時を告げるものです。
日時計
ビックベンの時計
轟太鼓
天智天皇の御代、近江大津宮で日々打ち鳴らされてきた時を告げる鐘鼓を偲んで、寄進されました。
昭和天皇在位50年の記念に寄進された太鼓で、朝夕に打ち鳴らし時を告げています。
時計博物館・宝物館
和時計を始め、古今東西の時計が展示されています。宝物館には寄贈された絵画などが展示されています。
時計博物館 宝物館
近江神宮時計宝飾眼鏡専門学校
近江神宮時計博物館付属の教育機関として、専修学校制度による専門学校、「時計科」「時計宝飾科」「時計眼鏡宝飾科」の3つの専門科を擁し、各科共3か年(全日制)の修業年限となっています。
技能五輪全国大会で優勝するなど、高い技能と技術を修得できる専門学校です。
神社が技術の専門学校を運用するというのは、非常にめずらしいことです。
「時の神様」のご神徳のたまものでしょう。
学校の玄関にはしめ飾りがあります
近江神宮の境内にひっそりとありますが、実力はすごい
近江神宮は「時の神様」という称号がふさわしい神社です。
ちょっといっぷく 宮そば「善庵」
境内にある蕎麦どころです。
この建物も登録文化財だそうです。
次回は、五年半という短い間ながら日本国の都となった近江大津宮と、天智天皇の功績などについてご紹介していきたいと思います。
アクセス
JR湖西線 大津京駅下車 徒歩約20分
京阪電車石坂線 近江神宮前駅下車 徒歩9分
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