平野神社 鳥居
平野神社 由緒
御祭神
平野大明神 大鷦鷯皇命(ひらのだいみょうじん おほさざきのみこと)
第16代仁徳天皇
精大明神 猿田彦命(せいだいみょうじん さるたひこのみこと)
第16代仁徳天皇
精大明神 猿田彦命(せいだいみょうじん さるたひこのみこと)
例 祭
例大祭 5月5日
古式祭 8月5日
御神紋
桜花の中央に「平」の字の紋、蹴鞠の紋
境内社
天満宮、愛宕神社、常世神社、稲荷神社、未力神社等は稲荷神社合祀
所在地
滋賀県大津市街餅1丁目9-18
ご利益
交通安全、方位除け、土地開発
「天智天皇」が近江志賀の「大津の宮(近江大津京)」に遷都された時、都の三里以内に守護神として祀られたと伝えられ、天智称制7年(668年)に鎮座され、藤原鎌足公の創立と伝えられます。
「精大明神(せいだいみょうじん)」は「猿田彦命」で、第35代皇極天皇の御代(594年~661年、皇極天皇としての在位は642年~645年)、京都西洞院滋野井に鎮座の「精大明神」を御神託により大津松本本宮狐谷に、「衢びきの神」、「蹴鞠の守護神」として奉還されました。
本宮に御鎮座当時は、封戸(ふこ、当時の貴族に対する俸禄高を表す)が数千石あり、摂社は80社あまりもありました。四時神事怠ることなく、代々の帝王特に後鳥羽天皇は深く崇敬せられ、また武将の崇敬も篤く、宮殿も広大な社殿で実に湖南の壮観な神社であったと伝えられています。
(現在名神高速道路大津インター出口を大津に向かって降りた大津本宮2丁目に旧跡の社標が現存します。)
ところが、応仁の乱(1467年~1477年)で社殿等が焼失し、天正2年(1574年)現在地に鎮座していた平野大明神の相殿に遷座され現在に至っています。
平野大明神と精大明神は、それぞれ別の場所で創建されましたが、応仁の乱で精大明神が焼失し、天正2年になって精大明神を平野大明神の相殿として現在の平野大明神に祀ることになったということです。
平野大明神と精大明神は、それぞれ別の場所で創建されましたが、応仁の乱で精大明神が焼失し、天正2年になって精大明神を平野大明神の相殿として現在の平野大明神に祀ることになったということです。
拝殿
本殿
村上天皇(926年~967年、平安時代第62代天皇)の天徳年中大宮中内に蹴鞠(けまり)の技芸が盛んにおこなわれ、蹴鞠の会には奉幣(天皇が神に幣帛を捧げること)がありました。
飛鳥井、難波両家は蹴鞠の会には必ず社参され、まりあそびや和歌などを奉納されました。
明和(1764年~1772年)年中に奉納された、八脚案三脚(玉串等をお供えする台)は現在も例祭で使用されています。
難波中納言宗尚郷御染筆の和歌に「道まもる神の恵も幾代へり云松本の宮」とあります。
神楽殿
神楽殿の前で毎年8月9日に「蹴鞠奉納祭」が開催されます。
蹴鞠奉納祭
御神紋は「桜花の中央に「平」の字の紋」と「蹴鞠の紋」が飾られています。
御神紋の入った幕 左が「蹴鞠」 右が「桜花に平の字」
瓦紋にも「桜花に平の字」の御神紋が見えます
境内社は「天満宮」、「愛宕神社」、「常世神社」、「稲荷神社」が祀られており、「未力神社等」は稲荷神社に合祀されています。」
天満宮
愛宕神社
常世神社
稲荷神社
境内には、蹴鞠神社の社標や灯台が鞠の形をした石灯籠、神前には鞠を踏まえた狛犬など蹴鞠にまつわるものが多くあります。
境内にある「蹴鞠之神社」の社標
蹴鞠を踏まえた狛犬
灯台部分が蹴鞠の形の石灯籠
手水舎
参道入口の標柱と石灯籠(民家の際にあります)
少し見にくいですが、参道入口の「蹴鞠之神社」の標柱
大津市内の片隅にひっそりと、歴史ゆたかな神社がありました。是非一度お参りされてはいかがでしょうか。
アクセス
JR琵琶湖線大津駅下車 東へ向かって徒歩10分
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