2019年5月20日月曜日

京都の護王神社はアスリートにご利益があります

護王神社は京都御所の西側、御所蛤御門の向い側、烏丸下長者町西南角にあります。
御祭神は「和気清麻呂公命」です。

護王神社はシンボルとして、「狛猪(いのしし)」が崇められています。

2019年は「亥年」 護王神社に参拝して開運祈願しましょう。

護王神社鳥居


護王神社 由緒書 抜粋

御祭神 
護王大明神 和気清麻呂公命 (わけのきよまろこうのみこと)
子育明神  和気広虫命       (わけのひろむしひめのみこと)

護王神社は、はじめは洛西の高雄山神護寺の境内に和気清麻呂公の霊社として祀られ古くから「護法善神」と称していました。

  
明治7年(1874年)、別格官弊社に列し、「護王神社」を正式社名と定め、同19年(1886年)、明治天皇の勅命により、神護寺境内から京都御所蛤御門前の華族中院家邸宅跡地の現在地に社殿を造営し、御遷座されました。大正4年(1915年)には相殿神の広虫姫を清麻呂公と並ぶ主祭神として併せ祀られました。
  
清麻呂公は、奈良時代の末に皇位を奪おうとした僧弓削道鏡の野望を、その身を賭してこれを挫き、万世一系の皇統を護持されました。また、桓武天皇の御代には平安京への遷都を献策し、造営大夫(兼民部卿)に任ぜられて平安京の都づくりに精魂を傾けられました。

清麻呂公の姫君の広虫姫は、早くから官中の女官として仕え、清らかで慈愛心の深い人柄から、孝謙天皇をはじめ歴代の天皇から厚く信頼されていました。


戦乱で生じた83人もの孤児たちを養子として育てられるなど、優しさと慈しみに満ちた素晴らしい御事績を残されています。


・・・足腰の健康保持やけが・病気の快復に特別のご利益があります。 
                       



和気清麻呂公銅像 (京都御所に向い真直ぐな眼差し)

ところで、護王神社の鳥居には狛犬ならぬ「狛猪(いのしし)」が左右対で鎮座しています。鳥居前には平成18年に建立された新たな狛いのしし「平成の霊猪像」がかざられています。 
 
狛いのしし 

 平成の霊猪像

和気清麻呂公は僧道鏡の野望を阻止しましたが、当時権力を持っていた道鏡に足の筋を切られたうえに、道鏡のはかりごとで九州の宇佐に流罪となりました。九州へ下る清麻呂公には道鏡の刺客が襲いかかるなど、険しい旅でしたが、突然山の中から現れた300頭もの猪が宇佐までの道中を無事にご案内しました。

その後、清麻呂公が悩んでおられた、「足萎(あしなえ)」が不思議と治り、清麻呂公は立って歩くことができるようになったと伝えられており、この故事により護王神社は足腰の守護神として広く崇敬さています。

この故事から「猪(いのしし)」は護王神社のシンボルとして、「狛猪(いのしし)」などでかざられ崇められています。


手水舎の龍神のかわりに猪の口から手水が出ています。
この猪は「鼻をなでると幸せになれる」といわれています。


神楽殿の前にも、一対の雌雄対象の「狛猪(いのしし)」が配置されています。


護王神社のご利益は、猪300頭の故事により、足腰の健康保持やけが・病気の快復に、特別の御利益があると篤く信仰されています。

足腰の平癒を願う方達はもちろん、陸上競技やサッカーの他、スポーツにおける足腰守護と競技の上達を目指すアスリートの方も多く参拝されているとのことです。

  拝殿

境内にある「君が代」に歌われる「さざれい石」
 
社務所脇の休憩所には様々な猪にまつわる展示物がかざられています

表門前の御千度車

北門

北門からの手水舎「霊猪の手水舎」
御朱印
アクセス
京都市営地下鉄烏丸線 烏丸御池駅下車 2番出口から北へ徒歩7分 左側



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