2019年5月19日日曜日

【裁判傍聴記】 もっと早く家を出ていれば・・・・・・

厳冬期の2月初め深夜明け方近く、被告人は自宅1階で同居する70代後半の父親の首を絞めて殺害しました。被告人は殺害後近くに住む妹に連絡し、妹が現場に到着後被告人は警察に通報し、駆け付けた警察官に逮捕されました。


罪 状 殺人罪
被告人 50代前半男性
求 刑 懲役15年
判 決 懲役10年


 事件の概要 

事件はA市の閑静な住宅地のなかで起きました。

厳冬期の2月初め深夜明け方近く、被告人は自宅1階で同居する70代後半の父親の首を絞めて殺害しました。被告人は殺害後近くに住む妹に連絡し、妹が現場に到着後被告人は警察に通報し、駆け付けた警察官に逮捕されました。

被告人は20代の頃からB市の介護施設で介護士として働いており、勤務態度は極めてまじめであったそうです。

被告人は東北の農業大学に在学していた2年間は実家を離れて生活していたものの、それ以外は現在の実家で両親と一緒に生活していました。妹が嫁ぎ、その後数年前に母親が亡くなってからは、父親と2人での生活が続いていました。

父親は退職してからは、近くの仲間と趣味の卓球をするなど外にでることもありましたが、数年前に母親の介護が必要となってからは被告人とともに母親の介護にあたり、3年前に母親が亡くなったころから体調も思わしくなくなり、家の中で過ごすことが多くなりました。母親が亡くなってからは家事は2人で分担していました。主に炊事は父親が、掃除・洗濯は被告人が行っていました。近くのスーパーでは被告人が父親と2人で買い物をする姿も見かけられたようです。

父親は被告人が幼いころからなんでも自分の言いなりになるようにしつけていたようです。これは後の証人尋問でもあきらかになります。このため被告人が家を出て生活することを良しとしなかったようで、母親が亡くなってからは更に家にしばる傾向が強くなっていきました。自らの体調が思わしくないこともあって、自らの体調になにかあったときのためということで、それまで2階の部屋で寝起きしていた被告人を1階の自らの部屋に2段ベッドを置いて自らは下段に、被告人をその上段で寝起きするようにさせました。このころ父親は月に何回かは仲間と趣味の卓球を楽しむこともありました。
 
被告人は若いころからアニメやゲームを趣味にしており、家にいるときは2階の自分の部屋でそれらの雑誌やDVDを楽しんでいましたが、父親はこの趣味をこころよく思っていませんでした。そのため1階の父親の部屋で寝起きするようになってからは父親にバレないように袋に入れたうえで、自分の部屋の押し入れに隠していました。

犯行の数日前、被告人は父親から趣味のアニメやゲームについて、価値観を否定するような言い方で責め立てられました。

犯行前日は、被告人が仕事から帰宅すると2階の自分の部屋の押し入れに入れていた趣味のアニメやゲームの雑誌やDVDが、押し入れの前の畳のうえに乱雑に投げ出されていました。こんなことをできるのは父親しかいませんが、父親は何も言わずにあざ笑うかのような表情で被告人を見ていました。

被告人はこの出来事で父親から価値観のみならず人格まで全否定されたと感じ、父親への気持ちが殺意に変わりました。この時「今夜父親を殺そう」と決心しました。

犯行当日、父親と一緒に2段ベッドでに入った被告人は、下段の父親が眠りについたのを確認したうえ下段で寝ている父親の脇に座り、濡れタオルを父親の顔に押し当てましたが、父親が気づき暴れたため、父親の上に馬乗りになって別のバスタオルで首を絞めました。それでも父親が抵抗するため今度は近くにあった電気の細いコードで首を絞めました。あまり強く締めたためにその電気コードが千切れたため、今度は近くにあった別の電気コードで力いっぱい首を絞めました。しばらくすると父親がぐったりとなったため亡くなったと分かりました。

その後近くに住む妹に自分の行った所業を電話で連絡し、また救急にも連絡しました。妹が現場に到着してから被告人が警察に通報して、駆け付けた警察官に逮捕されました。


 法 廷 



以下のやりとりは順序や一言一句が全て正確ではありませんので、あしからず。


 証人訊問 

被告人の叔父(被害者の弟)が弁護側情状証人として出廷しました。

弁護人 
あなたは被害者の弟ということですが、被害者とはどのような関係でしたか。
証 人
兄は若いころから、私たち家族とはあまりそりが合わなかったと思います。兄が家を出て、私が家業を継ぎましたが、年に何回かは私の家に来ていました。

弁護人
被害者があなたの家に来た時、被告人は一緒でしたか。
証 人 
ほとんど一人で来ていました。被告人が車の免許をとってからは、被告人に車を運転させて来ていました。

弁護人 
その時の被告人の様子はどうでしたか。
証 人 
被告人は車で待っていて、家には入ってきませんでした。兄に一緒に連れてくるように言いましたが、待たせとけばいいと言っていました。あれは何もようできんからや待たせとけばよいとも言っていました。


 被告人質問 

(弁護側)

弁護人 
父親は被告人が介護する必要があるほど生活に支障がありましたか。
被告人 
日常生活の家事は父親と分担はしていましたが、父親も十分できました。

弁護人 
父親のあなたに対しての接し方について教えてください。
被告人 
母親が亡くなってから、自分に対してのしばりが強くなりました。

弁護人 
それはどういうことか、具体的に教えてください。
被告人 
毎日何時に帰る、寄り道はしないかなど常に聞いていました。職場の懇親会に参加するというと、早く帰ってこいと言われました。早く帰らせるよう職場の上長に電話をされたりもしました。

弁護人 
被告人は生まれてからずっと実家住まいでしたか。
被告人 
東北の農業大学の2年間在学中は、実家を離れて生活していました。

弁護人 
実家を出て生活したいとは思いませんでしたか。
被告人 
20代の頃に父親と喧嘩して家を出たことがあります。この時は部屋を探しながらB市の大きな橋の下で一夜をあかしました。職場に出勤すると父親から電話があったそうで、仕方なく家に帰りました。その後は家を出ていません。

弁護人 
父親と1階の部屋の2段ベッドで寝起きするというのは、誰が言いましたか。
被告人 
父親が言い出してベッドも用意しました。

弁護人 
被告人はそれについてどう思いましたか。
被告人 
父親が「何かあったときのため」にというので仕方ないなと思いました。

弁護人 
数日前に父親から趣味のアニメやゲームについて責められどうおもいましたか。
被告人
自分が大事にしてきた価値観を否定され悲しくなりました。

弁護人 
このとき家を出て父親から離れようと思わなかったのですか。
被告人 
家を出ようと思い、仕事の帰りに不動産屋の店頭広告を見ていました。

弁護人 
具体化しなかったんですか。
被告人 
具体的にしませんでした。

(もっと早く家を出ていれば・・・)

弁護人 
相談する人はいなかったんですか。
被告人 
妹に電話で話をしましたが、相談とまではいきませんでした。

(検察側)

殺害時の様子を犯行当時の現場検証時の写真をプロジェクターに投影したうえ、仔細に質問していました。

(裁判官・裁判員)

検察官と同じく、殺害時の経緯や様子を仔細に質問していました。
裁判員は殺害時の状況を仔細に質問し、被告人はありのまま答えていましたが、凄惨で生々しい状況が語られていました。


 論告求刑 

検察官 身勝手な犯行で罪は重いとして懲役15年を求刑。


 判 決 

裁判長 
父親に縛られたとはいえ、家を出て独り暮らしするなどの選択肢はあったはず。
殺人は短絡的で身勝手と断罪したうえで懲役10年。



 裁判の向う側 

若いころから父親にしばられ、あげくに自らの人格を全否定されたと感じたとはいえ、人の命を殺めるということは決して許されるものではなく断罪されるべきものです。

しかしながら、この事件では高齢者の介護の問題と、介護する場合の介護する側の人格や生き方の問題が浮き彫りになっていると思います。人は高齢化すると身近にいる人間に甘え、そしてわがままになっていきます。高齢者福祉施設での介護士による暴力事件が後をたたない実状は高齢者のわがままもその原因の一部になっているのではとも思います。
 
過去には親の介護の厳しさに耐えきれずに、自ら命を絶った芸能人のニュースもありました。

「事件に至るまでに被告人が独り暮らしをするという選択肢もあったはず」と判決で述べられました。第三者が客観的に見るとそのとおりだと思いますし、法の運用ではそう考えるのが妥当なのでしょう。

しかし、被告人は50年の人生を親のために捧げてきたはずなのに、被告人の唯一の心の拠りどころであったアニメやゲームを蔑まれ、むげにされたことは被告人の人生そのものを否定されたと感じて、例え親であっても許せるものではないと考えたのではないでしょうか。
 
今回の事件は現代の日本の長寿社会、少子高齢化社会の影の部分を象徴する事件でもあるのかなと感じ、やるせない気持ちになりました。

被告人は公判中に法廷に入る際には必ず礼をして入廷し、またいろいろな質問にも真摯に答えており人間として真面目な人だと感じました。そして、なにか吹っ切れたような印象をうけました。父親を殺害するという大罪を犯したわけですが吹っ切れたのではないかと感じました。
 
被告人には罪を償い、更生して残りの人生を全うしてほしいと思いました。
    

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