2019年11月12日火曜日

京都の四条大橋から先斗町を通って三条大橋まで歩いてきました

10月の平日のある日、京都の街歩きをしました。「四条大橋」から「先斗町」を通って「三条大橋」までのんびりと歩きました。すれ違う人の多くが外国人観光客です。アジア系や欧米系など様々な国の人達が歩いています。

四条大橋から南座
久しぶりに京都に来たので、京阪電車の「祇園四条駅」で降りて「街歩き」しました。

京阪電車の「祇園四条駅」で降りて地上に出ると、「鴨川」に架かる「四条大橋」東詰めの「川端四条」の交差点に出ます。

「川端四条」の交差点の「四条大橋」東詰めから東方向を眺めます。

正面奥の山裾に「八坂神社」の鳥居が見えます。

手前左手のビルは「レストラン菊水」です。大正5年(1916年)創業の老舗洋食店で、建物は国登録文化財に指定されています。1階はカフェ・喫茶・軽食のレストランパーラー、2階は本格フレンチグリルでランチ・ディナーが楽しめるレストラン(意外にリーズナブル)、3階・4階は宴会・ブライダル・会議に利用できます。5階はビアガーデンです。
四条通りの南座前という一等地なのにお値段は庶民的ですので、是非一度お訪ねください。

左手の南座の手前に見えているビルは「総本家にしんそば松葉」です。京都でにしんそばといえば「まつば」です。

左手の「まつば」の向うは、松竹の「南座」です。歌舞伎の「吉例顔見世興行」やこれに先駆けて役者の名前を勘亭流で書いて掲げる「まねき」は、京都の暮れの風物詩として有名です。この劇場は江戸時代の慶長年間(1596年~1615年)初期に起源を発した日本最古の劇場です。建物は、国の有形登録文化財に指定されています。平成30年に耐震改修工事が施工されています。

四条大橋東詰めから東方向
次に四条大橋を西方向に向かって歩きます。




鴨川の東岸には、その昔は下の写真の歩道部分に線路が敷かれ「京阪電車」が走っていました。(現在は地下化されています) 漫画の「じゃりんこチエ」では春の夕暮れに桜が咲く鴨川の東岸をのんびりと走る京阪電車の様子が描かれ、ノスタルジックな感傷に浸ったものです。

四条大橋から鴨川東岸
鴨川の西岸の遊歩道は、カップルの聖地です。夕暮れ時には遊歩道の川岸に適度な等間隔で並んで、カップルが肩を寄せて座ります。それを四条大橋の上から多くの人が眺めるというのも、京都の春から秋の風物詩です。

毎年「5月1日から9月30日まで」、鴨川の西岸の水路の上に「鴨川納涼床」が開設されます。南端は「団栗橋」から北端の「二条大橋」までの間に90軒余りの店が「納涼床」を張り出して、夏の夜風を浴びながら食事やお酒を提供します。日本料理だけでなく、中華やフレンチ、イタリアンなど様々なジャンルの店が「納涼床」を営業します。ランチタイムに営業している店もあり、リーズナブルな店もありますので、「京の夏の風物詩」を是非楽しんでください。

四条大橋から鴨川西岸
四条大橋の西詰め北側の鴨川に面して大きなビルが建っています。老舗料亭「先斗町いづもや」です。関西には一時テレビコマーシャルで流れていましたので有名になった料亭です。大正5年創業の江戸前鰻と京懐石のお店です。

先斗町いづもや
今度は南側に目を向けますと、道路の南側にレトロなビルが見えます。このビルはアメリカ人の「建築家ヴォーリス」の設計で、大正15年(1926年)に完成しました。当初は洋食店として営業していましたが、戦後の昭和20年(1945年)に北京料理の店「東華菜館」として創業しました。提供される料理はコース料理や一品料理など予算に応じて提供されます。
「東華菜館」のエレベータは現存する日本最古のエレベータで、その他建物の内部は大正レトロの雰囲気一杯です。

東華菜館
「四条大橋」西詰めには、もう一つ名物があります。「四条交番」です。「先斗町」の入口にあって、昔から地元の人や観光客の道案内や、夜の酔っ払いの対応など治安維持のために活躍してくれています。

四条交番
それでは「先斗町(ぽんとちょう)」に入っていきましょう。その前に「先斗町」入口の掲示板の「京名所 先斗町」の説明を見てみましょう。
この地はもと鴨川の洲であったが、寛文10年(1670年)に護岸工事の為埋め立て、石垣を築き町家が出来て、これを新河原町通りといった。
その後三条一筋南から、四条まで、即ち南北600米、東西50米にわたる地域に人家が建ちならび俗に先斗町と呼ぶようになった。正徳2年(1712年)に茶屋、旅籠屋両株と茶立の女子を置くことを許され、爾来花柳の街として繁盛、現在に至っている。
先斗町の地名は、ここの人家が全て川原の西側に建ち、先ばかりに集中したところから先斗町と呼ばれたともいい、葡萄牙語(ポルトガル語)(PONT)、英語の(POINT)の発音によったともいわれる。
京の年中行事「鴨川おどり」は明治5年に創始、今日迄京の春秋をあでやかに色どっている。
「先斗町」は「道幅約2m」の狭い通りです。うっかりしていると見過ごしてしまいます。

先斗町入口
いづもや
「欧風料理開陽亭」はランチもやっています。

欧風料理開陽亭


「京料理眺河」は鴨川を眺めながら食事できます。ランチもやってます。

京料理眺河
「犬矢来」は通りの犬の立小便除けのために竹のカバーですが、人間様の立小便除けでもあります。

犬矢来
どんどん歩きましょう。




「先斗町」通りの左右の「路地」にもお店が並んでいます。


「練羊羹駿河屋」 甘味処もあります。


路地の奥のお店 入口に「通り抜けできまへん」と書いてあります。


「先斗町歌舞練場」は、五花街の芸妓さん、舞妓さんが毎年5月に舞や舞踊劇を披露する「鴨川おどり」が華やか・艶やかに開催されます。その他にも定期的に先斗町の芸妓さんの舞が披露される「水明会」も開催されていますので、あでやかな世界に浸ってはいかがでしょう。

先斗町歌舞練場






先斗町「無電柱化計画」
先斗町から電柱を無くして、電線を地中に通すという計画が進んでいます。最終年度は平成31年ということは令和元年ということです。



「先斗町」の北端の三条一筋南です。新しいビルが建ち、その中に京都で有名な「和牛ステーキ弘」があります。

先斗町の北端
和牛ステーキ弘
「三条大橋」に到着しました。「東海道五十三次」の終点です。
このあたりの川原は、街道の人通りが多いこともあって、昔は「処刑場や晒し首」の場としての役割もありました。


「東海道五十三次」の終点の「三条大橋西詰め」には、江戸時代の戯作者「十返舎一九」「弥次さん喜多さん」の珍道中を描いた「東海道中膝栗毛」にちなんで、「弥次さん喜多さん」の像が立っています。



「三条大橋擬宝珠刀傷跡」(三条小橋商店街振興組合掲示板)
三条大橋西側から二つ目の南北擬宝珠に刀傷があります。これは池田屋騒動のときについたのではないかと云われており、現在でもはっきり見て取れる刀傷です。三条大橋を渡る時に目をやってみてはいかがでしょう。
確かに刀傷がありました。

西側から二つ目の擬宝珠
刀傷はこれです(真ん中のえぐれ)
「三条大橋」

三条大橋の左手奥の建物は「京阪電車三条駅」
三条大橋から四条大橋方向
「東海道五十三次」の終点「三条大橋」の西詰めには、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が日本で初めて石柱橋を架けた際の「旧三条大橋の石柱」が残されています。石柱には「天正十七年津国御影七月吉日」と刻まれており天正17年に神戸の御影から切り出されたものであることが分かります。

旧三条大橋石柱
「三条大橋」西詰めには「高札場」が設けられ、幕府が決めた法度(はっと)などを木の板に書いて人目につくように高く掲げていました。


「三条大橋」西詰めの「京都名産五色豆 船はしや」は、明治38年(1905年)創業の老舗の五色豆・あられ・おかき・豆菓子のお店です。昔ながらの店構えのお店で懐かしいお菓子をお土産としてお求めになられてははいかがでしょうか。



 






アクセス
京阪電車京都線 祇園四条駅・三条駅下車 すぐ
阪急電車京都線 京都河原町駅下車 徒歩3分

「先斗町」は夜の街というイメージが強いでしょうが、昼間でも楽しめる通りです。是非お出かけください。

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