2019年5月19日日曜日

大津の「馬神神社」に参拝して競馬必勝・万馬券を祈願しましょう

滋賀県大津市長等の「大津馬神神社」は、1300年の歴史を持つ「長等神社」の境内の右奥にあります。「馬」を祀る神様として競馬関係者や競馬必勝を祈る全国の競馬愛好家の崇敬を集めています。

馬神神社鳥居
大津は、古来より東国や北国からの物資輸送の中継地点として繁栄していました。それは琵琶湖の水運により運ばれてきた米や各地の特産品を当地で馬や牛による輸送に積み替え、逢坂山峠を越えて京や大坂へ送り出す一大拠点の役割を果たしていたからです。

江戸時代には、大津は幕府直轄領となり代官所や幕府蔵が置かれ、商業都市として大いに栄えました。湖岸には「十四ヶ所舟入りの関」を設け、札ノ辻には旅人に提供する「人馬会所」を開き、ここから逢坂山峠へ向かう八丁筋の両側には本陣と旅籠が林立していました。「安藤広重」の浮世絵「東海道五拾三次大津」には、この時の様子が描かれています。江戸時代の東海道の五十三の宿場町で最も繁栄していたのは「大津宿」とも云われています。

「浮世絵東海道五十三次大津宿」の画像検索結果
東海道五十三次大津 資料画像(Wikipedia)
「大津宿」は、琵琶湖の湖上水運で運ばれた物資を集積し、馬に積み替えて逢坂山を超えて京へ輸送するという重要な役割を担っていました。このため大津宿には多くの馬が配されていました。このため、馬の守護神として、東海道と北国道の分岐する札ノ辻の馬会所裏に「馬神神社」が建立され、大津宿の人々や旅人が道中の馬の無事・安全を祈願し、崇敬を集めていました。

江戸時代の寛永年間(1624年~1645年)には諸国に馬の疫病が流行し、馬を害する妖怪「馬魔(ぎば)」の仕業と噂がたちました。「馬魔」とは玉虫色の小さな馬にまたがり、風にのって現れる緋の衣を着た魔女と云われ、大津では一説には貧しい娘が「馬魔」と化し馬を襲って父親の馬の皮商いを助けたという説があるそうです。疫病のまんえんを見かね「馬神神社」の神札を諸国に頒布したところ、疫病が治まったと言い伝えられているそうです。

その後、明治34年(1901年)に「長等神社」の境内に遷座され、東北・関東・信州などの馬の関係者が参拝するようになりました。

馬神神社本殿
最近では、競馬関係者や競馬必勝を祈願する競馬愛好家が、遠方からも参拝するようになりました。境内には、競争馬の名前が書かれた奉納札が掲げられ、競馬必勝を祈る愛好家が競馬必勝祈願の思いを込めて、馬の形の絵馬を奉納しています。


































「長等神社」御由緒

「長等神社」は、天智6年(667年)「天智天皇」が治めた「近江大津京」の鎮護として、長等山の岩座谷の霊地に「須佐之男命(すさのおのみこと)」を祭神として創建されました。後に「三井寺(園城寺)」の守護神として日吉大神など五柱の主祭神を祀る神社として、皇族や著名な武将に愛された神社です。

長等神社拝殿
「長等神社」の境内には、「平忠度(たいらのただのり・平清盛末弟)」が平家都落ちの際に、清盛を偲んで詠んだとされる歌の歌碑があります。

「さざなみや 志賀の都は 忘れにしを 昔ながらの 山桜かな」


なお、「長等神社」については、別途ご紹介させていただきます。

長等神社の二之鳥居から琵琶湖方面を眺めると、一之鳥居を経由して琵琶湖へ向かう一筋の参道が続き、往古の繁栄が彷彿されます。



競馬愛好者の皆様、競馬の必勝、万馬券を祈願して「馬神神社」に参拝されてはいかがでしょうか。

アクセス
JR琵琶湖線大津駅下車 西北へ三井寺方向に向かって徒歩20分

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