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2019年9月30日月曜日

滋賀県大津市衣川に謎の廃寺遺跡「衣川廃寺跡」があります

滋賀県大津市衣川(堅田の南)の静かな住宅街に「衣川廃寺跡」があります。7世紀に建立された寺院跡ですが、謎の廃寺となっています。
いったいここに寺院はどこまで築かれたのか、竣工できたのか、工事を途中で中断したのか、何故廃寺となったのか、これらの謎は現在も解明されていません。

「衣川廃寺」金堂基壇跡

2019年9月28日土曜日

閉校された母校「洛陽工業高校」が解体され敷地内を埋蔵文化財調査中でした

私の母校「京都市立洛陽工業高等学校」は、平成30年3月末を以て閉校しました。先日別の要件で近くに行きましたので、母校の姿を見ようと立ち寄りますと、我が母校は既に解体され、敷地内で埋蔵文化財調査を実施していました。既に平安京の遺跡「羅城跡」が見つかっているそうで、他にも遺跡が出てくることでしょう。


2019年9月27日金曜日

京都の「羅城門跡」「西寺跡」「東寺」は平安京の南の玄関口

平安京は延暦13年(794年)に長岡京から遷都され、明治2年(1869年)に江戸(東京)に遷都されるまで、1075年にわたって日本の首都とされてきました。
「羅城門」は平安京の中央大通りの朱雀大路の南の端に建てられた、都の表玄関にあたる大門です。また「西寺」は平安京の南の端に現存する「東寺」と羅城門を挟んで、東西で対に並んで建っていた仏教寺院でした。

羅城門跡

2019年9月10日火曜日

滋賀県大津市の「山ノ神遺跡」は「近江大津宮」遷都のための資材製造工場

滋賀県大津市一里山の住宅地に「山ノ神遺跡」はあります。ここでは、7世紀に「天智天皇」が大津市錦織の地に「近江大津宮」を築造した際に瓦などの工事資材を製造し、遷都後は中央政権の政務のために必要な器材等を製造していました。


2019年9月5日木曜日

京都市の東を流れる鴨川の9月3日はまだまだ夏日です

本日は9月3日、二十四節気の処暑も過ぎましたが残暑は厳しく、ギリギリと肌を刺すような夏の日差しです。
鴨川の川岸では、お年寄りの皆さんが木陰に避難しています。


2019年8月29日木曜日

京都「寺町通り」街歩き その2(丸太町通り~今出川通り)

京都市の「寺町通り」は、京都御苑(御所)の直ぐ東側を通る南北の通りで、南は五条通りから北は紫明通りまでの通りです。天正18年(1590年)の「豊臣秀吉」の都市計画によって、市内各地にあった寺院を移転させ通りの東側に配置させたことから「寺町通り」と称されることとなりました。今回は、京都御苑の東側に沿って丸太町通りから今出川通りまで歩きます。

京都御苑清和院御門

新島譲は「ならぬことはならぬ」の八重とこの邸で暮しました

京都御苑の東、京都市上京区寺町丸太町上ルに「同志社を創立した新島譲(にいじまじょう)」は和洋折衷のモダンな自宅を新築し、妻八重(やえ)との結婚生活を過ごしました。
NHKの大河ドラマ「八重の桜」で有名になった新島八重は、幕末の会津戦争で鶴ヶ城(会津若松城)に籠城して、新政府軍と戦いました。八重は幼いころから「ならぬことはならぬ」と教えられました。


2019年8月28日水曜日

京都「寺町通り」街歩き その1(二条通り~丸太町通り)

京都市の「寺町通り」は、京都御苑(御所)の直ぐ東側を通る南北の通りで、南は五条通りから北は紫明通りまでの通りです。天正18年(1590年)の「豊臣秀吉」の都市計画によって、市内各地にあった寺院を移転させ通りの東側に配置させたことから「寺町通り」と称されることとなりました。今回は、南の二条通りから丸太町通りまで歩きます。

寺町通り界隈

2019年8月26日月曜日

滋賀県大津市に古代たたら製鉄の「源内峠遺跡」が!

滋賀県大津市の瀬田丘陵の中央部、「びわこ文化公園」内の龍谷大学瀬田キャンパスへ向かう道路「学園道路」の途中に、古代たたら製鉄炉の「源内峠遺跡」があります。

復元された製鉄炉(1号炉)

2019年8月23日金曜日

大津市堅田の街歩き 堅田はけっこう奥が深いです

京都から大津に移り住んで約30年たちます。琵琶湖の西側の湖西地域に住んでいますが、まだまだ知らないことばかりで、遅ればせながら半年ほど前から堅田周辺の街歩きをしています。知れば知るほど堅田はけっこう奥が深いなーと感じています。

浮御堂

2019年8月21日水曜日

明治の中ごろ日本を揺るがす大事件が大津の街角で起きていました

「ロシアが日本に攻めて来る!」そんな噂も流れるほどの大事件が、今はひっそりとした大津の街角で起きていました。
国賓として来日していたロシア帝国皇太子ニコライに対し、大津の街角で警護していた警察官が突然サーベルで斬り付け負傷させたのです。下の写真は、事件現場付近の街角にある事件の碑です。「此付近露国皇太子遭難の地」と刻んであります。


2019年8月20日火曜日

街歩記「日本基督教団」大津教会と堅田教会と「ヴォーリス」

滋賀県大津市の旧市街地を街歩記です。あまり知られていませんが、大津は古来より歴史上の重要な拠点となった地で、あれこれと知れば知るほど大津は奥深いです。
大津はまた、近代史の中でも面白い足跡を残しており、今回は「日本基督教団」「大津教会」「堅田教会」の建物を紹介させていただきます。

日本基督教団大津教会

2019年8月19日月曜日

明智光秀は大津市坂本の地に豪壮な城「坂本城」を築きました

滋賀県大津市下坂本に、天下の謀反人と後世まで語り継がれた「明智光秀」が築いた「坂本城」を偲んで造られた「坂本城址公園」があります。実際の「坂本城」はこの公園の少し北の琵琶湖岸に築かれていました。

公園に建つ「明智光秀」像


2019年8月15日木曜日

「泉福寺」は叡山三千坊のひとつでしたが今は真宗大谷派のお寺です

「泉福寺」は、滋賀県大津市今堅田にあります。開山当時は天台宗のお寺として「七堂伽藍」を備えた大きなお寺だったそうで、「泉福寺」という寺号は天台宗宗祖「伝教大師最澄」によって名付けられたと伝えられているそうです。
「泉福寺」の山門の正面の琵琶湖岸には、木造灯台の「出島灯台」があります。

山門

2019年7月24日水曜日

京都の【祇園祭後祭】の宵山に行ってきました

「日本の三大祭」のひとつ、京都の【祇園祭】は7月17日の「前祭(さきのまつり)」の山鉾巡幸で華やかで豪華蓮蘭な祭の幕を閉じたと思われている方が多いのでしょうが、ところがどっこい山鉾の数は少ないですが「後祭(あとのまつり)」もございます。「後祭」「鉾建(ほこたて)」から「宵々山(よいよいやま)」「宵山(よいやま)」と続き7月24日には華やかに「山鉾巡行(やまほこじゅんこう)」が行われます。

祇園祭後祭2019山鉾巡幸一番の橋弁慶山

2019年7月19日金曜日

【鉄道記念物】指定 旧東海道線「旧逢坂山ずい道東口」 

国道1号線を京都から大津へ国道1号線で進み、旧東海道の「逢坂の関」を過ぎてすぐに大津市街から大津港へ向かう道が分岐します。この分岐道へ入ってすぐの左側に「鉄道記念物 旧逢坂山ずい道東口」があります。「旧逢坂山ずい道」は京都から大津へ抜ける旧東海道線を開通させるため逢坂山を掘削した、日本人の技術者と職人が主体となって設計・施工を行った我が国初の山岳隧道です。

逢坂山隧道東口
    

2019年7月7日日曜日

能登半島ほぼ一周ドライブ旅その2 輪島朝市~揚げ浜塩田~軍艦島へ

平成最後の年の4月中旬、能登半島ほぼ一周の1泊2日ドライブ旅で、絶好の天候で絶好の景色を楽しんできましたので、私たちが訪ねた能登半島の見どころをご紹介させていただきます。
1日目は、能登半島の西岸を走り能登金剛の「厳門」、「上大沢・大沢の間垣の里」で日本海の荒々しさを感じ、「白米千枚田」の棚田を背景に日本海に沈む夕日を眺めて日本の原風景を改めて感動しました。
2日目は、輪島の朝市を楽しんだ後、能登半島の西岸の「塩の駅奥能登揚げ浜塩田」を経て、能登半島の東岸を走ります。途中「軍艦島」などに立ち寄って帰途につきます。

見附島 別名「軍艦島」


2019年7月4日木曜日

輪島の朝市は売り手の元気なおばちゃんとのやりとりが最高

輪島の朝市は岐阜の高山、千葉の勝浦と並んで日本三大朝市に数えられる有数の朝市です。その歴史は平安時代にさかのぼり、神社の祭礼日に魚介類、野菜等を物々交換しあっていたのが輪島朝市の起源と言われています。
以来、約千年も続く輪島の朝市は、能登地方の食文化の継承の役割と奥能登観光の要としての役割を併せ持ち賑わい続けています。


2019年6月28日金曜日

能登半島ほぼ一周ドライブ旅その1 白米千枚田の夕日は絶景 

平成最後の年の4月中旬、能登半島ほぼ一周の1泊2日ドライブ旅で、絶好の天候で絶好の景色を楽しんできましたので、私たちが訪ねた能登半島の見どころをご紹介させていただきます。
1日目は、砂浜の「千里浜なぎさドライブウェイ」を走り、能登金剛の一つの海に突き出た断崖にトンネルがぽっかりと開いた「厳門」や、優美に流れる「夫婦滝」、日本海の荒波を防御する「間垣の里」を訪ねました。そして、その日のラストには絶景棚田で有名な「白米千枚田」で海に沈む夕日を満喫しました。

白米千枚田と海に沈む夕日

能登半島の「道の駅赤神」「男女滝」「上大沢・大沢の間垣の里」

能登半島を輪島へ向かって車で北上していくと、「道の駅赤神」から日本海を望む雄大な景色と、「男女滝」のやさしい流れに感動し、そして「上大沢・大沢の間垣の里」では冬の日本海から吹き付ける厳しい自然の驚異を感じるとることができます。

上大沢の間垣